週刊 奥の院 5.5

菅野昭正 編 『ことばの魔術師 井上ひさし』 岩波書店 2200円+税 
井上ひさしの三位一体――難しさ、易しさ、面白さ  菅野  
小説の書き手として、読み手として  阿刀田高  
自立と共生の街、ボローニャに恋して  横山眞理子
『藪原検校』――ことばが掘り出すもの  小田島雄志
稽古場から劇場へ  鵜山仁
遅筆堂にいたる七本の道  小森陽一
ひさしとわたし――三五年のつきあいの中から  ロジャー・パルバース
あとがき  菅野

……井上ひさしはどういう作家であるか一言で定義せよと求められて、間髪をいれず即座に答えられるひとが誰かいるでしょうか。劇作家とか小説家とかいうだけでなく、もっと詳しく特徴づけるとなったら、これはたいへん難しい要求です。かなり時間をかけて、ああでもないこうでもないと思案する必要があります。生前の井上さんでさえ、一言ではとても無理だと返答をためらったのだろうと、あらぬ想像をめぐらしたくなるほどです。……
 井上さんの文学活動は劇作に中心を置きながら、そして小説を併存するように寄りそわせながら、さまざまな方向、さまざまな領域にひろがっていました。
(国家とは、国家と個人、自由、人権……)
 一方また作家として、難しいことを易しくわかりやすく書く、さらに楽しく愉快に語るというのは、劇作たると小説たるとを問わず、井上さんが基本的な姿勢として実践してきた原則でした。……  (菅野)

 井上ひさしさんは非常に引き出しの多い、いろいろなところにピカピカ光る宝石みたいなものを持っている方なので、いったいどういう作家なのかということを把握するのが、けっこう難しいなぁと、私は思っています。
……私は井上さんの作品はよく読みましたし、芝居もよく観ました。そのうえであえて言えば、井上さんは、やはり非常に優れた劇作家だったんですね。芝居の人だったんです。私は、いちおう小説の商売人ですが、そこから見ると少し不足がないでもない。「上手の手から水が漏れる」というのか、そういうことがなくはない作家だったなぁというのが、私が通して井上さんの小説を評価するときの考えです。……
文学賞選考では、それぞれの作者の長所をどうやって見るかという立場で、概ねやさしい評価)
「井上さん、わりと甘めだね」なんて言うと、「やっぱりこれもいいからね」なんて言うんです。「ああ、この作品はそうだよな」と思うようなところをちゃんと押さえて、褒めていらっしゃる。でも、皆にいい点をつけると、選考にはならないところがあるんです。私は「何とかしてよ」と井上さんを突っついたりしてね。…… (阿刀田)

……井上ひさしは、たしかにすばらしい小説も書いていますが、どちらかというと、彼は小説家より劇作家だとぼくは思うんです。
(親友だがべた褒めするつもりはない)
……どこの国でもそうですけど、散文と戯曲の両方が書ける作家は非常に少ない。ほとんどいない、と言っていいぐらいです。日本では井上ひさしぐらいです。
(戯曲を書くのは難しい)
 井上さんは、両方書けるからこそ損をしたのかもしれません。特にこの国では、演劇というものが啓蒙的なものとして入ってきましたから、モラルというものがある。井上さんが書いているのはエンターテイメントです。彼の戯曲は日本にはなかなか根付かない。それは残念だと思います。  (パルバース)

 2012年6月から7月に世田谷文学館で開催された講演シリーズ、「ことばの魔術師 井上ひさし」。

(平野)