週刊 奥の院 5.4

小川太郎 『寺山修司 その知られざる青春』 中公文庫 724円+税 
 本名、小川富男(1942−2001)。週刊誌編集者を経て、歌人フリーライター。著書、〈戦後短歌史の肖像〉三部作――『聞かせてよ愛の言葉を――ドキュメント・中上ふみ子』(本阿弥書店)、本書(三一書房)、『血と雨の墓標――評伝・岸上大作』(神戸新聞総合出版センター)、他。
はじめに「実際に起こらなかったことも歴史の裡である」より。
 寺山27歳の著作『現代の青春論』(三一新書)の経歴に、「1959年早稲田大学国文科卒業」とある。寺山は教育学部国文科で一年学び、難病ネフローゼで入院、以後通学していない。また、大学に提出した「身上調書」にも母の名前や職業を事実ではないことを記載している。

……
 寺山修司の人生を辿ろうとする者がまず困惑するのが、このように寺山本人によって、さまざまな場所で微妙に来歴が粉飾されていることである。

「実際におこらなかったことも歴史の裡である」というのは著者が寺山に書いてもらった色紙の言葉。

……
「実際に起こらなかったこと」というのは、寺山の場合、「起こったこと」と光と影の関係のようなものであり、「起こったこと」の影が、寺山が創造した「虚構」のリアリティーを複雑な回路を経て支えているのではないか、と思われてならない。寺山修司の評伝に意味があるとすれば、恐らくその回路を追求するという一点にあるのではないか。

 著者は自分の女性関係を寺山に相談したことがある。
「起こったことは消すことはできないから、いい関係だったときのことも考えて行動しろ」と助言してくれた。寺山も離婚直後だった。

……
「実際に起こったこと」「実際に起こらなかったこと」、もはや、両者は渾然として分かちがたい部分も多いが、その波打ち際にこそ、「寺山修司」が立っているのである。

 寺山の葬儀で、彼の人生と作品に挑戦したいと考えた。少年時代、寺山の短歌に魅せられた。
「もう二度と会えない寺山修司に会うためのたった一つの方法のように思われてならなかった」

 寺山の母親の生い立ちにまで遡り掘り起こしていく。



九條今日子 『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』 角川文庫 629円+税  
 元夫人。離婚後も「天井桟敷」運営。現在テラヤマ・ワールド共同代表。

……
二十三年にわたる寺山との付き合いは、なんとも説明のしようのない、つくづく不思議な関係だったと思う。私自身がそう思うくらいだから、他人にとっては謎の多い、よくわからない二人に見えたにちがいない。
(離婚後も共通の仕事。マスコミが興味を持って劇団に来るのだが、団員たちが九條を奥さんと呼んでも、記者のなかには「奥」という名前と信じ込んでいた人も)
 ある時、お母さんが私に話があるというので行ってみると、いかにも自信ありげに聞いてきた。「あんたが修ちゃんと別れたのは、税金対策のためなんでしょう?」と言うのだ。
 何と答えていいかわからず、絶句した私は、寺山にそのことを告げると、寺山も寺山で、返ってきた言葉はこうだった。
「だったら、そう思わせておけばいいじゃない」
(母上は、滅茶苦茶忙しい寺山の収入は莫大なものと思っていたよう)
 また別れた後も寺山が、終生欠かさなかった年中行事のひとつは、元旦を私の部屋で過ごすことだった。
……
「同伴者」の後に「同志」になり「戦友」になり、最後には「義妹」になってしまったというのが、つまりは私たちの不思議な関係だったのである。……

 この間の事情(最後「義妹」〜)については本書を。
 2005年デーリー東北新聞社刊。




 笹目浩之 『寺山修司とポスター貼りと。 僕のありえない人生』 角川文庫 629円+税 
 2010年単行本、『ポスターを貼って生きてきた。就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論』(パルコ出版)。
 著者は1963年茨城県生まれ。82年「天井桟敷」の芝居を見て演劇にはまってしまう。83年寺山追悼公演『青森県のせむし男』のポスター貼りを九條に頼まれ、「飲食店の人々の温かい対応に感激」。演劇界の雑用を引き受けていく中で、ポスター貼りを会社組織で行っていくことを決意。87年ポスターハリス・カンパニー設立。
「ポスター貼り」。居酒屋やバーや雑貨店……、お店の「壁を貸してもらう」仕事。この仕事は「なりゆき」で始めた。

……
 先方にしてみれば、壁を貸してくれることで得することは何一つない。だれもが楽しそうに食事をしたり酒を飲んでいる店に、「すいません」と言いながら入り込み、こちらはそのつもりはないのだが、しばしお客さん同士の会話を妨げながらポスターを貼り替え、だれかの荷物を踏んだり壁のフックなどに掛かった上着や帽子を落としたりしないように注意しながら、「ありがとうございました」と言って店を出る。
 そういう不思議な関係で成り立っている仕事なので、どんなに仲良くなった店でも、その日の都合や気分によってはポスターを貼るのを断られることもある。お店の人から「今日のところは、近所の学校や商店街の催し物のポスターを優先させて」と言われれば、当たり前のこととして素直に引き下がるしかない。

 ふつうポスター貼りは劇団の若手や研究生の雑用だが、笹目は、

店の一番いい場所にポスターを貼ることが目標だった。
「コイツ、ちょっとオカシいんじゃないか?」
「でも、面白いな」
「それでいいの?」

 飲み屋の常連客に説教され、からかわれ、店の人と仲良くなる。仕事を終え、一生懸命飲みにも通った。
 ポスターを貼りに行くという行為は、
「街のいたるところや人々の生活の中にまで演劇や芸術的なものを広げる」という認識。
「実利実益しかない街に、演劇という虚構の世界、創造の世界への窓口となり入口にもなるポスターを貼りめぐらすのだ」
解説、宇野亜喜良

この本は少々ふざけた哲学書であり、疲れた時などにはイレギュラーにペラペラめくった頁が、意外に力をくれたりする人生の営業の処方箋でもある。

 
 こんな仕事がある。こんな人生がある。
(平野)
本日、寺山の命日。