週刊 奥の院 4.20

■ 宮田珠己 『おかしなジパング図版帖  モンタヌスが描いた驚異の王国』 パイインターナショナル 1900円+税 
 冒頭で宮田が引くのは、1885年に来日したフランス人作家ピエール・ロチ『お菊さん』(白水社版、1952年、根津憲三訳)の一節。長崎の港に近づくにつれて、未知の国への憧れと期待が増してくる。
「……なんという緑と陰の国であろう、日本は。何という意外な楽園であろう。……」
 1543年にポルトガル船が漂着して以来300年あまり。ヨーロッパ人にとって日本は「依然、珍奇と不思議に満ち溢れた《意外な楽園》」だった。その理由。
 日本が地理的にもっとも遠い国であったこと。ヨーロッパとは極端に違うタイプの高度な文化が存在していたこと。鎖国によって外国との接触が極端に制限され情報が断片的にしか伝わらなかったこと。

……それでも、幸運に恵まれ、長く日本に滞在できたヨーロッパ人たちが、日記や記録を残し、それらが本国で出版されるなどして、少しずつではあるが謎の国の姿が明らかになっていく。
 それらの記録は、ときには間違いや空想を含んではいたが、ヨーロッパで広く読まれ、ヨーロッパ人の心のなかに、日本への憧れや好奇心を育んでいった。

 本書は、1669年オランダ人モンタヌスが著した『日本誌』を中心に、18世紀以前にヨーロッパ人が描いた日本の絵図――日記・紀行などの挿絵・地図――を紹介する。

……絵は、文章よりも直接的にイメージを喚起する。それらを見ることで、われわれは当時ヨーロッパ人が頭の中に思い描いた日本を知ることができる。多少の間違いや、空想が紛れ込んでいるにしても、日本に来たことがないヨーロッパ人にとって、それこそが日本であった。
 そして面白いことに、現代を生きるわれわれにとっても、それはどこか別世界の不思議の国の風景のように見えるのである。

 
宮田が取り上げるのは「夢の国であった日本の絵」。
 モンタヌスは1625年アムステルダム生まれ、カルヴァン派の牧師で教育者。出版も。69年フリシウスの『江戸参府日記』をもとに『東インド会社遣日使節紀行』を執筆。さらに情報を加え『第二部日本帝国紀事後記』出版。これが『日本誌』と呼ばれる本。当時、未知の国の文化・風俗についての出版物は大人気。彼は日本情報を網羅的に取り上げ、90点以上の挿絵とともに紹介し、視覚的に伝えた。もちろん日本に来たことはない。情報源は東インド会社人脈。
 カバーの絵(下半分)は「都にて使節を出迎える奉行の行列」。奉行が乗る派手な馬車、変な車輪、楽隊の楽器もおかしい。
 モンタヌス以降、日本は学問の対象となる。多くのヨーロッパ人には情報不足から《意外の楽園》となった。19世紀になると日本を正確に描くようになり、ロチの小説の主人公の憧れもやがて失望に変わる。

……どれだけ荒唐無稽であっても、『日本誌』は、日本とヨーロッパの交流史で語る上で、決して外すことのできない貴重な奇跡の書と言えるのである。
 それがこの世に生れ出たことは、もちろんモンタヌスにとっても、当時のヨーロッパの人々にとっても、そして現代のわれわれにとっても、実に幸運なことだった。

(帯)「いったい、ここはどこなんだ?  空想と、思い込みと、伝言ゲームで描かれたどこにもない日本へ、ようこそ。」
1 おかしな王国、発見
2 オランダ使節、珍妙な国を旅する
3 へんてこな人々、あべこべな習俗
4 謎の王ダイロと、武士とよばれる戦士たち
5 得体の知れない宗教
6 世界の片隅で歴史は働く

 
モンタヌスの図版はこちらで。http://:title= http://yushodo.co.jp/pinus/60/montanus/
(平野)