週刊 奥の院 3.31

■ 笹原宏之 『方言漢字』 角川選書 1800円+税 
 
 著者、1965年東京生まれ、早稲田大学社会科学総合学術院教授、中国語学、日本語学。『日本の漢字』(岩波新書)、『訓読みのはなし』(光文社新書)など。漢字に関するさまざまな政府審議会に委員として関わる。JIS漢字、人名用漢字常用漢字、それぞれ管轄省庁が異なる。その活動のなか、「漢字は全国共通」という先入観が根強いことを改めて実感する。たとえば「栃木県」の「栃」、常用漢字に採用されたのは2010年(このとき「阜」「阪」も)。誰でも書けると思うが、栃木の人以外で正確に書ける人は少ない。隣の茨城県の人でも書き間違えるらしい。近畿の『畿』を「幾」と混同する人もいる。

……人は、「言葉」には地理的な変異である「方言」が存在することを自明のこととし、何の疑問ももたない。あたかも県民性やローカルな料理が実在することと同様に理解し、そこに味わいや「方言萌え」なる感覚まで抱くようになってきている。しかし、文字、ことに漢字においても同様の地域による差があること、つまり「地域漢字」や「地域音訓」が実在しているということ現実には、ほとんど気付かないでいる。方言を表記するだけでなく、方言と同様に各地に存在する地域性をもつ文字は方言文字とよばれてきた。

……
 まず漢字の起源に遡る。広大な東アジア漢字圏での地域による個性、字音、略字、他言語の文字への影響……、実際に使われるなかで変化してきた。
 日本。漢字伝来後、8世紀には地域色豊かな文字が生まれたそうだ。カナ表記、書道の発展、字音の日本語化、類推による慣用音、日本独自の訓、異体字、国字、和製熟語……、複雑化、多様化する。
 地域によって、ある漢字の使用頻度の多少がある。姓の「藤」、訓読み「ふじ」の「藤原」「藤田」などは西日本に多く、音読み「トウ」の「佐藤」「斎藤」などは東日本に多い。
 近畿の漢字を見る。
【京都】 難読地名が多い。「天使突抜」を「てんしつきぬけ」、「一口」を「いもあらい」。「先斗町」を知っているから「ぽんとちょう」と読める。「樫原」を「かたぎはら」と読む。「樫」は日本製漢字で、「臣」の部分を「リ」と書く略字がある。「都」の偏「土・ノ・日」の「ノ」が右上に突き抜けない字が多く見られる。
【大阪】 著者が心斎橋でみかけた「テンプラ」の多様な表記。「天麩羅」「天冨良」「天ぷら」。「天婦羅」、「婦」に半濁点をつけるのも。
 

……話した声は夢幻のように消えていくが、文字はその分身として永遠に残りうるものである。私は文字そのものへの関心が強いことは間違いないが、それは突き詰めていけば、実は文字を使う「人」への関心なのだと思っている。
……地域社会の中で育まれてきた伝統ある文化が各地で薄まっていくことは危惧される。東京一極集中に代表されるような画一化は、一見統一感のある均質な文字文化の定着を示すものである。しかし私は、多様性から生まれる活力は言語にはもちろん、漢字にも実は存在していると考え、観察を始め、今に至るまでずっと続けている。方言の多様性を受容できるようになったこころのゆとりを、漢字の地域差にも当てはめていけるような柔軟な姿勢を皆に持ってもらえるならば、著者として幸いである。……

(平野)
 関西では、「虎」は「阪神タイガース」を指す。この字が常用漢字に入ったのは2010年。こっちの子はずっと昔から書けて読めた。