週刊 奥の院 3.21

■ 山本周五郎 愛妻日記』 編・監修 竹添敦子 角川春樹事務所 1600円+税 
 山本周五郎生誕110年。
 本書は、周五郎の日記1930年から41年までの11年間分。年によっては元日のみであったり、2日書いただけだったり、34年はまったく記載なし。
 30年秋、土生(はぶ)きよえ[きよえの他、清栄、きよ、清などと表記]と出会い結婚。周五郎26歳、きよえ21歳。きよえは4人の子の母となったが、45年死去。『夫 山本周五郎』の著者・きん夫人は後妻。

 一九三〇年、日記は苦闘の日々から始まる。浦安を出た二十六歳の周五郎は「本当の為事(しごと)」のためには「孤独」が重要であると考える。しかし、孤独を求める一方で、手をさしのべ「貧」を解消してくれる人びとへの強い感謝を記す。
(かつての奉公先・質屋山本周五郎翁、浦安の高梨夫妻、博文館の編集者・井口)
……孤独こそが「為事」を成すと認識しつつ、人は人を支え、また人に支えられて生きることも了解している。これがこのあともずっと周五郎の生きる姿勢となった。
 は・き嬢こと土生きよえの登場とともに、日記は一気に筆致を変える。その年の九月、きよえの名が唐突に現れたと思うと、日記はがぜん長くなる。恋をすると人はそれを語りたくなるものだが、彼も連日、反芻するように一日のできごとを書き綴る。……

「酒と逸楽と女に心を奪われ」た周五郎は病に倒れ入院。そこで出会う。
 九月十五日
土生清栄がぼくの生活に現われた。
僕の生活は変った。僕は新しい力と、勇気とを以って改善された道に踏み出す。出来たら清と結婚したい。清こそ僕の為事を完成するに必要な女だ
清は僕を好いていて呉れる。そして、ああどんなに僕は清を愛していることだろう。
……
 清おやすみ、良い夢をごらん、いつも神様があなたをお護り下さいますように。
 九月十六日
 清に手紙を書いた。それを出してから電話をかけた。悪いと思ったけれど、どうにも我慢が出来なかったからだ。電話ではまるで声の調子が違っていた。明日新橋へ来て呉れるだろう。今夜はたのしく眠れるに違いない。まだ電話の声が耳についている。……
 
 17日の日記は長い。清に渡す手紙を書く、ひげを剃る、待ち合わせ、部屋に連れてくる、タクシーで銀座、バラの花を贈る、お茶を飲んで、タクシーで送る、明日来るであろう清の手紙に心躍る。
 歌日記もある。
 キスすれば 面かくして壁に倚りし かの日のきみの若かりしかな
 洗いたる髪をほどきて くちづけの息の乱れを かくせし乙女
「好きか」と云えば 「知らず」と云いて頬染めて わが指に指からみてし人
……
 ウキウキした記述ばかりではない。
32年6月7日の日記。
 為事が出来ないので弱る。焦るので一層いかぬ。金がなくなったらしい。妻よ、くさらないで呉れ。
 妻の貧乏に馴れたのを見ると胸を刺される思がする。もう少しだ、妻よ、我慢して呉れ。

 本書の日記後半は、周五郎にとって仕事が順調になってくる時代。日記の分量が少ない。

……スランプに見舞われたこともたびたびだったようだが、何より作品を量産することに追われたからであろう。少年少女ものを博文館に、時代小説を講談社にと書き分け、一ヶ月に平均三篇を発表してゆく。厳しいスケジュールである。しかしそのことが作家としての基礎固めにつながった。期待を裏切らない原稿を量産できることは、エンターテインメントの作家としては必要不可欠の条件である。三十半ばになった周五郎は、かつて「稼ぎ原稿」と自嘲気味に呼んだ分野で、確実に「稼げる」作家になっていた。……

(平野)