週刊 奥の院 3.19


■ 宮沢賢治未来への伝言1 グスコーブドリの伝記』 
解説 赤坂憲雄 ロジャー・パルバース  書肆パンセ
 1200円+税
挿絵 園英俊



 グスコーブドリはイーハトーブの大きな森のなかに生まれました。お父さんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけもなく伐ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日遊びました。……
 お母さんが、うちの前の小さな畑に麦を播いているときは、二人は道にむしろをしいてすわって、ブリキ缶で蘭の花を煮たりしました。……

 冷害に飢饉。父母は森で自殺。妹は見知らぬ男に連れて行かれる。ブドリが、てぐす工場で働くと噴火でダメになる、田畑を手伝うと寒さと旱魃。クーボー先生の本を読んでいて、先生の学校に入る。火山や気象の勉強、火山局に就職、観測や機械操作。先生と火山を人工的に爆発させて、雨と灰(肥料)をコントロールすることに成功。妹と再会し父母の墓も見つかる。また冷たい夏。火山島を爆発させるためにブドリは自分が犠牲になる。
 赤坂「ようこそ、豊饒なる物語の森へ」より。

 思えば、二〇一一年三月十一日にはじまった東日本大震災の影のもとで、宮沢賢治という名前がくりかえし、くりかえし呼び返されてきました。それは、けっして偶然ではありません。賢治が生まれ育った岩手、そして東北はまさに、地震津波や火山の噴火などの災害に見舞われつづけ、ヤマセ(冷たい風)とケガチ(飢餓)の風土に苦しんできた土地なのです。賢治はそこに生きる人々の姿を、詩や童話のなかに生き生きと描いたのです。
 ブドリには誰よりも強い学びへの欲求がありました。農民のためにはたらきたい、その暮らしをよくするために力を尽くしたい。……
(近代科学への信頼、未熟な技術の限界と自己犠牲をめぐる問い。原発事故でもこの問題がある)
……賢治の問いかけは、けっして荒唐無稽なものではなかったのです。それは、わたしたちにとっても、依然として未来にこそ属しているのかもしれません。

 パルバース「賢治からわたしたちへのメッセージ」 
 賢治の思い描いていた「遠大な理想」が明確にあらわれている。

……一人の人間として――子どものときにも、やがて若者に成長するブドリも――、自然の法則を理解しようとする意欲をもっています。
 それをじゅうぶんに理解して、賢治の若き主人公は、故郷の人びとのためになにか益とすることをなさんとする強い思いが、じしんのなかに突きあげてくるのを感じるのです。かれらの存在と苦境にたいして、心の底から深い同情と共感を感じています。かれらが負う重荷を、じぶんのものとして担おうとします。そして、究極の自己犠牲のもとに、かれは人びとの生活を救うのです。
……腕組みして立っているだけではいけない。世界に飛び出して行って、よりよい世界をじぶんの手で築いていきましょう!
 かれは、じぶんが生きた時代、わたしたちの時代の作家というだけではなく、すべての時代に向けて書いた作家なのです。

(平野)