週刊 奥の院 3.18

■ 黒川創 加藤典洋 『考える人・鶴見俊輔』 弦書房 780円+税 
 2012年9月29日、福岡で開かれた講演会「考える人 鶴見俊輔」(福岡ユネスコ協会主催)の記録。
目次
行動する人・鶴見俊輔  黒川
原発反対デモで思い出すこと  核にまつわる記録  「昼の時間」と「夜の時間」  ハンセン病とかかわる  敗戦と『思想の科学』の創刊  「風流夢譚」事件 ……
書く人・鶴見俊輔  加藤
二つの光源から  ホムンクルスとしての「書く人」  狂気を沈めたリベラル  鶴見さんのなかの「おだやかでないもの」  書くことの不自然さ  書くことは、不自然に考えること ……
[対談] 鶴見俊輔を語る
 黒川は鶴見の身近にいて編集作業をしてきた。「行動する人・鶴見」の「フェアネス=公正さ」という基本姿勢を語る。
 加藤は30代はじめカナダの大学で鶴見に出会い、学び助けられたことを二つあげる。
(1)「自分と世界の間をつなぐ手がかり」を得た。「非常におだやかでないもの」「気違いじみたこと」を抱えながらも、「リベラル」であることはできるという実例。
(2)うさんくさいもの、不自然なもの、信用ならないもののなかで、真実は、切実に生きている、ということ。
 加藤が講演で取り上げた鶴見の詩「らくだの葬式」について、黒川が補足。
「これは古典落語の「らくだ」に即したものなんです」

「らくだの葬式」
らくだの馬さんが なくなって 
くず屋の背なかに おぶわせられた 
――此処から墓地までだいぶある
くず屋があるけば 馬さんもあるく
ひょこたん ひょこたん
――やりきれないね
……

 らくだというニックネームの馬という人が急死、兄貴分がくず屋に命じて大家に通夜の酒と肴を頼むが断られる。兄貴はくず屋にらくだの遺体を背負わせて大家に嫌がらせ。
 鶴見は26歳の若さで京大助教授に抜擢されたが、いろいろあって鬱状態に。寄席に居続けることもあった。

……同じ話をすでに何回も聞いてるんだけど、知ってるネタでもまた新しく笑ってしまう自分に気づく。なんでこんなに笑えるのか。そういう発見をしながら、寄席とか、場末の映画館などに通った。たぶん、そういう経験と、「らくだの葬式」のうらぶれてユーモラスなリズムは、重なるところがあるんでしょう。ナンセンスでグロテスクでもある。特に、鶴見さんのなかでのグロテスクな要素というのは、独特の位置を占めるものだと思います。これは、戦後啓蒙期のほかの進歩派知識人たちがほとんど持ち合わせていなかったものでしょう。……

 加藤は鶴見の「一貫性」と「オールラウンドネス」を語る。

【加】……本当にいろんなことをずっとやり続けてこられている。そこにはかなり鶴見さんでないとわからない深い闇があるんでしょう。同志社のときの十字架を背負うという話(多くの教授が機動隊を導入するときにした言い訳)みたいな、機動隊を導入した直後、「もう、ここはいやだ。ここには一刻も居たくない」と震えるように感じたみたいな。その行き方が柔軟でかつ強い。また外形が広くて大きい。……
 鶴見さんの周りには実にさまざまな種類の人がいるのです。僕も悪名の高い人間なので、たとえば、なんで鶴見は加藤なんかを脇においているんだというような不満や疑問の声があがったりもする。(いろいろな人が鶴見を慕って集まってくるという話)

(平野)