週刊 奥の院 3.14
◆ 「東日本大震災を被災地から読む」 仙台の本 その3
荒蝦夷
■ 『震災学』 vol.2 発行・東北学院大学 1800円+税
(写真はポスター)
[<原発被災>をどう考えるか]
柳田邦男・齊藤康則・寺島英弥 原発事故の検証と今後
小出裕章 福島原発事故に関して、若い人たちに対するお詫びと期待 他
[フクシマからの声]
赤坂憲雄・若松丈太郎 原発と文化
佐久間順 <3.11>と福島民報
渡辺考 汚染地図の中の私 他
<エッセイ>
佐伯一麦 「戦災と震災と」
[地震・津波被災地の二年]
河野幸夫 貞観津波研究による震災の長期予測と地電流による地震の短期予測
津上誠 「田畑を荒らさない」ということ
加藤拓馬 ボランティア活動からまちづくり活動へ
西脇千瀬 地域誌で編む 他
佐々木俊三「フクシマの方へ」より。
フクシマの破壊は、私たちになお、そこに帰ることを許さない荒れ果てた現実を残した。この日本で、安全で平和だと誰もが見なしていた日本で、まさか「難民」という現実が訪れようとは、誰も予想だにしなかった。いったい、この被災は何だったのか。……
フクシマの破壊によって、二つの事柄が顕らかとなった。一つ。太平洋戦争以来、私たちは繁栄に向かって進んで来たし、そう思い込んで来た。しかし、いったい、私たちの生活構築の仕方は、正しかったのか、否、そうでなかったのか、戦後の日本の生活構築の仕方が深甚な反省の対象となり、疑問と問いが生まれた。そして、それに基づく視座の断裂が生まれた。……
もう一つ。 喪失の経験は、いずれ修復されるし、修復されるべき時はやがてやって来るべきものがあった。しかしフクシマの喪失に、修復されるべき時はやって来ない。少なくとも一つの世代の時間のうちでは。それは途方もない喪失だ。復旧や復興のかまびすしい騒動のうちで、出口のない絶望に打ちひしがれる心の暗闇が、見え隠れする。私たちは、こうした人々の心の暗闇にこそ、近づき、寄り添い、理解の測深を降ろさねばならない。……
■ 『新・遠野物語 遠野まごころネット被災地支援への挑戦 2011−2013』 1600円+税
遠野には岩手県内陸部と三陸沿岸部をむすぶ宿場町の歴史がある。交通の要衝。明治三陸大津波の時も、三陸沿岸後方支援の拠点となった。
第1部 遠野まごころネット始動
第2部 響きあう声の記録
第3部 次なる災害に向けて
2011年3月28日、遠野市内のNPO法人、被災地NGO協働センター、静岡県ボランティアセンターなどが「遠野まごころネット」を結成。この2年間で送り出したボランティアは2万人以上。
木瀬公二「遠野まごころネット物語」より。
「全国からきていただいた皆様、ご苦労様です」
ハンドマイクを持った林崎慶治(家屋整理隊長、59歳)は、集まったボランティアに向かってあいさつした。続く話に、ぎょっとした表情を見せた人が結構いた。
「昨日、がれきの中で釘を踏み抜いた人が二人います。破傷風で命を落とす危険があります。運んでいたピアノを足の上に落として指を骨折した人もいます。作業中に津波に襲われるかもわかりません」
次々と例を挙げる。そのあとに、挑発するように続ける。
「気にくわなかったら無理をしないでやめてくだい」
遠路、「せっかくきてやったのに」というボランティアがいたとすれば、たださないとならない。優越意識は相手に伝わる。それは被災者をいらだたせる。そんな雰囲気は、けがが生じやすい。作業は「助けてあげる」のではなく「一緒にがんばりましょう」という意識でやってほしい。そういう意味が込められている。……
(平野)
「神戸新聞」3.13「地域ニュース」、“東日本大震災を被災地から読む”フェアを紹介してくださいました。写真のネボケオヤジは平野。