週刊 奥の院 3.10

■ 永江朗 『新宿で85年、本を売るということ  紀伊國屋書店新宿本店 その歴史と矜持』 メディアファクトリー新書 740円+税 
 紀伊國屋書店(以下、勝手に【紀】と表記)の創業は1927年。田辺茂一(しげいち、もいちと呼ばれ、本人もそう名乗った)21歳、薪炭問屋の8代目、屋号は家業のもの。ご先祖は紀州出身。
 茂一の幼少時からのエピソード。
 本好きで、店のお金で毎日のように本を買う。文学に魅せられ、文学談義に小説執筆。母親が立派。「商売よりも本が好きなら、一生、そうやって読んで暮らしていいんじゃないの」。

 21歳の茂一がはじめた本屋さんは、夢の実現でもあり、文学仲間たちとの交流の場でもありました。

 文学青年のイメージ。いやいや、「夜の市長」と呼ばれ、銀座で豪遊、そして交遊。ゴーゴーは踊るし、テレビに出る、CMにも。著書多数。若き日、文芸誌・評論誌をいくつも創刊した。真面目で破天荒。

……新宿で本を売りはじめてからの85年間は、必ずしも順風満帆とはいえないものでした。特に、空襲で店舗も商品もすべて焼けてしまったときは、もう立ち直れないかと思ったほど。それでも田辺茂一はへこたれなかったし、本が好きな人に本を届け続けることに誇りを持っていました。……

 永江は【紀】の謎とともに歴史をひもといていく。
 なぜ田辺茂一は本屋をはじめたのか?
 なぜ【紀】は大きくなったのか?
 なぜ【紀】にはホールがあるのか?
 なぜ【紀】はネット書店や電子書籍販売を始めたのか?

 本屋さんとは何なのか、本を売るとはどういうことなのか、本とは何なのかが見えてきます。


[はじめに] この本屋さんにはたくさんの謎がある
序章 僕の紀伊國屋書店
第1章 創業(1927〜45年)
第2章 空襲から(1945・46年)
第3章 再始動(1947〜63年)
第4章 新宿から各地へ、世界へ(1964〜79年)
第5章 本店の誇り(1980年代)
第6章 変わる書店界のなかで(1990年代)
第7章 ライバルたち(2000年代)
終章 「うちは本屋ですから」(現在)
[おわりに] 85年の時間につまっているもの

 茂一のエッセイから。
<書店の夢は、私の七歳のときからであった。やっと素志を実現したのである。
 父の家業であった薪炭問屋も、盛業中であったので、惣領の私が転業することは、もちろん反対もあった。が、独りっ子同様、我儘に育った私には、そんなことは問題でなかった。>
「七歳」は正確ではないかもしれない。その「七歳」のとき、大正天皇ご大典の記念行列を父親と丸善の2階から見物した。見物に飽きて本棚を見ると、
<背を金ピカにした洋書の棚があった。素晴しかった。感動があった。>
 15坪で開業。当時、本の業界には新規店に規制があり、近距離に既存店があれば雑誌を扱えなかった。【紀】は出版社のパンフレットを積んだ。

……雑誌を扱えないことは経営上のハンディキャップであり、致命的ともいえるものだが、結果的にこれがよかったのではないかとぼくは思う。雑誌を扱えないために、標準的な書店になることができなかった。スタートの時から、書籍に力を入れた個性的な書店にならざるをえなかった。……

 文化人が集まり、彼らと雑誌を発行し、さらに集まってくる。画廊をつくった。戦後は劇場もつくった。新宿の街のことを考えた。
 本の販売では、豊富な品揃えはもちろんだが、「じんぶんや」「キノベス」、さらに「ほんのまくら」と次々新しいことを展開する。
 2012年、新宿本店改装、社長が語る。
「……新宿が原点だ、新宿を強くしよう、新宿で本好きの人たちが集まる空間は紀伊國屋なんだ。この気持ちを忘れてはいけません」 
 一番店の矜持であります。
(平野)
◇ ヨソサマのイベント
■ 第8回サンボーホール ひょうご大古本市 3.22〜24 10:00〜19:00(最終日は18:00まで)
23日「昔なつかしの街頭紙芝居」 11:00〜  14:00〜
主催 兵庫県古書籍商業協同組合 078−341−1569