週刊 奥の院 2.25


岩波新書から  


■ 森まゆみ 『震災日録 記憶を記録する』 820円+税 
 

 いま起こっている途方もない災厄について、何か分析したり、評言めいたことを書くことは私にはできない。だけど関東大震災について、東京大空襲について、書き遺されたリアルタイムの日録を読んで、あとでまとめた感想や記憶とは違うと納得することがある。新聞やテレビは大所高所から報道する。私は二六年間、『谷根千』で小所低所から人々のかそけき声を聞き取ってきた。地域の日常を、被災地で見たものを聞いたものを書いておこうと決めた(3.21記)。

 震災当日は東京。翌日から仕事で九州。そこに『世界』から4月初旬発行の5月号に原稿依頼。その後もHPに「震災日録」を書き続ける。

……こんなとき、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』があったら、なにか東北のお役に立てたのではないか、と慙愧の念にかられたが、実際には二六年、地域で培った谷根千のネットワークが見事に再起動して、さまざまな活動が広がった。……

 文化財を含む東北各地の被災状況をリアルタイムで伝える記録、1年分。

九州放浪記  映像ドキュメントの伝えた3・11  マンガと絵本を届ける旅  いわきに炊き出しに行く  津波は東京駅の屋根まで  ……


■ 長田弘 『なつかしい時間』 800円+税 
 NHKテレビ「視点・論点」で17年間48回語った原稿をもとに。
「あとがき」より。
 芥川龍之介の遺書にある「唯ぼんやりとした不安」という言葉はよく知られている。その遺書の最後にこうある。
「唯自然は僕にはいつもより一層美しい。……自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。」
 死に臨んで末期に見えるものは自然の美しさ。

……しかし、作家の死後、これまで百年近くもずっと、この国で忘れられ、粗末にしかあつかわれてこなかったのは、その自然のうつくしさの、文字通りの有り難さです。
 自然が日々つくりだすのは、なつかしい時間です。なつかしい時間とは、日々に親しい時間、日常を成り立たせ、ささえる時間のことです。『なつかしい時間』は、この国で大切にされてこなかった、しかし未来にむかってけっして失われていってはいけない、誰にも見えているが、誰も見ていない、感受性の問題をめぐるものです。……

 
■ 山藤章二 『ヘタウマ文化論』 720円+税

 ずっと昔から、「一芸に秀でる」ということは、他人より抜きん出てウマくなることだった。 

「ウマい」の反対語は「ヘタ」。
 上達するとは、ヘタな所からウマい所へ上(のぼ)ってゆくことと決まっていた。つまり二極を結ぶひとすじ道である。
 ところが、いつの頃からか、この「二極」の道とはまったく別の尺度が出現したのである。
「第三極」に「オモシロい」という極が。……
 いまや、芸術、芸能、サブカルチュア全般にわたって「第三極」として地盤を固めた。こうした現象を苦々しく思うのが、旧世代の私に似合う振る舞いだと思うのだが、実は私、嫌いじゃないのだ、「オモシロ現象」が。

 山藤も、さし絵の世界に登場したとき、「オモシロいやつ」と言われた。クリエイティブの世界では「ウマいやつ」は滅多に出ないが「オモシロいやつ」はヒョンな所から現われる、と。
「ウマい」「ヘタ」「オモシロい」

 この「曰く言い難い」言葉を、われわれ日本人はいとも無責任にやりとりしているのだから、この国の文化度は、成熟しているのか、いい加減なのか、よくわからない。……

 江戸文化から岡本太郎東海林さだお立川談志……、日本文化の「ヘタウマ」。
(平野)