週刊 奥の院 2.16

■ 佐高信のお墓紀行  101人の墓碑銘』 光文社知恵の森文庫 743円+税 
12月に出てました。
週刊金曜日』連載に、他社絶版文庫の文章を加える。
 佐高は20歳の頃、芥川龍之介の墓に通った。学生寮の近くだった。芥川の『侏儒の言葉』の一節に惹かれた。
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは馬鹿馬鹿しい。重大に扱わなければ危険である。
 彼は35歳で人生にピリオドを打った。

 多くの人は芥川のように人生のゴールを自ら定めることはできない。しかし、それぞれの墓の前に立つと、何がしかを求めて生きたその人の道が見えてくる。足跡と言ってもいい。……
 新聞の死亡欄に目が向くようになり、死者に親しい人がふえた。暮れに喪中欠礼の葉書をもらうことも多くなったが、これからますます此岸より彼岸に知己を数えることになるのだろう。
「お墓紀行」は、いわば「生者との対話」ではなく、「死者との対話」である。この中には忌野清志郎のように私より若い人も少なくない。
 選ぶ規準は何かと問われたら、どう答えようか? 決して好ましい人だけではなく安岡正篤平沼騏一郎のように好ましからざる人もスケッチした。それは無視できない人だからである。……

 その人たちの墓。
忌野清志郎 高尾霊園高乗寺。
 にぎやかなお墓だそう。両脇に豚の銅像Love&Peaceと。墓石に腰掛けたウサギに首飾りがかけられ缶ビールのお供え。「お線香はお控えくださるよう……」のカード。
「金曜日」の対談(1999年)で、
 ロックで「君が代」をやれば、若い人も国旗・国家法案に興味を持つかもしれないと思った。
安岡正篤 染井霊園。
 右翼思想家。吉田茂以来、歴代首相の指南番と呼ばれた。年号「平成」にも関わったと言われる。晩年、女占い師と親しくなり、婚姻届が出され、遺族がもめた。
平沼騏一郎 多磨霊園
 政治家、1939年首相。太平洋戦争後、A級戦犯終身刑。検事時代の1910年、大逆事件を捜査指揮。幸徳秋水ら6名逮捕で終わるところを、捜査拡大し熊野新宮グループも極刑に。被差別部落の脅威を押さえるため。
 知らない名前(あくまで私が)何人か。
「斎藤野の人(ののひと)」 龍華寺。
 山形県出身の文学評論家。同じく明治の評論家「高山樗牛」の弟。敬愛する兄が早逝し、その全集をまとめた。彼も32歳で死去。
「長瀬富郎」 染井霊園。
 花王創業者。城山三郎『男たちの経営』のモデルだが、城山が書くきっかけのひとつは、島崎藤村の『東方の門』に登場するから。
「無名戦士墓」 青山霊園
 墓碑銘(1956年3月記)によると、『女工哀史』の細井喜蔵(1925年死去)の印税によって紡織労働運動者の共同安息所として建てられた。
(平野)