月曜朝礼 新刊紹介

【文芸】 クマキ 
■ 川口則広 『芥川賞物語』 バジリコ 1800円+税
 芥川賞受賞文学を評論するのではなく、「芥川賞」そのものの歴史とエピソードを紹介。資料的価値が大きい。


(帯)

派手な受賞は叩かれる。
地味な受賞は嘆かれる。

特異で滑稽、けれども絶対気になる日本一有名な文学賞
その第1回から第147回までの受賞作と候補作の選考過程にまつわるエピソードを網羅した<権威>と<喧騒>のドキュメント。

第一章 誕生――<権威>を問われての船出 第一回〜第二十回
第二章 変質――主導権が選考委員会から出版社へ 第二十一回〜第三十二回
第三章 乖離――単なる一新人賞を超えた過分な注目 第三十三回〜第六十回
第四章 喧騒――話題性と批判の声、ともに拍車がかかる 第六十一回〜第八十二回
第五章 失速――若手作家に厳しく、授賞なし連発 第八十三回〜第九十八回
第六章 延命――圧倒的な知名度、他の賞を寄せつけず 第九十九回〜第一二二回
第七章 独走――結局、誰も止められないままに 第一二三回〜第一四七回
 なぜ多くの人が芥川賞の存在を気にかけるのか? 文芸・出版関係者だけではなく、作家志望者、読者、日頃本を読まない人まで。
 著者も調べてみて知った。
 歴史的にどのように日本に現われて世に広まり、受け入れられていったのか。その過程で関係者はどう感じ、無関係な人たちはどう反応してきたのか。
 「文藝春秋社」菊池寛と親しい、亡くなった作家「直木三十五」と「芥川龍之介」にちなんで……、という説明が一般的。
 近代日本の<懸賞小説=新聞・雑誌他企業の宣伝>と、ヨーロッパ流の文芸振興<文学賞金=文士たちの精神的・経済的支援>、そういう流れがある。菊池もはじめは<懸賞小説>を考えたらしい。
 1934(昭和9)年12月、文藝春秋社が両賞の制定を発表すると、各新聞が一斉に取り上げた。期待はもちろん、反発や揶揄の声もあった。芥川賞選考委員は11名、菊池、川端康成佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星ら、日本近代文学史に名を残す人ばかり。「讀賣」が委員の顔ぶれに苦言、評論家や左翼系作家がいない、と。

 実際、この段階で芥川賞はまだ始まってもいない。具体的に、どのような方針で、どのような作品・作家に授賞されるのか、だれもわからなかった。<芥川賞委員会>自身すら、確たる構想があるわけではなかった。

 とりあえず、
(1)広く一般から原稿募集し、優秀作品を『文藝春秋』に掲載して候補作に
(2)作家・評論家にアンケートして推薦作を募集
(3)文藝春秋社内で独自に候補作を選出
 これらで集まった候補作の候補をもとに、10数篇に絞り、全員が回覧、選考会を重ねて決まることに。

 しかし、決まったルールがあるわけではなかった。いかに候補作を決めるのか。芥川賞が最初から抱えた課題だった。以後長きにわたって、場面に応じて、状況に応じて、選考の方法は変わっていくことになる。……

 35年になるや、有力作家の名が噂話にあがる。第1回の授賞は石川達三に決定。文藝春秋社が読者をにぎわし、候補者、落選者、選考委員、文壇を焚き付ける。これに呼応したのが落選した太宰治。選考委員を批判するし、次は「私にお与えください」と売り込む。
 著者は1972年東京生まれ。2000年からHP「直木賞のすべて」運営。08年には「芥川賞のすべて」も開設。
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/

(平野)
 紹介する者が少なくて。私のは明日。