週刊 奥の院 1.31

■ 豊粼由美 『ガタスタ屋の矜持  場外乱闘篇』 本の雑誌社 1800円+税 
『〜 寄らば斬る篇』(同社)に続く書評集。今回は新聞・雑誌に書いたもの。
Ⅰ 読書の気分  ○笑いたい ○驚きたい ○しみじみしたい ○わくわくしたい ○ドキッとしたい ○打ちのめされたい ○元気になりたい ○ほのぼのしたい ○考えたい ○遊びたい
Ⅱ 正直書評。二〇〇八〜二〇一二

 全151作品の書評。読んだ、書いた。
「笑いたい」のトップは旧約聖書。「聖書」で笑うとは、そんな無体な、と思いきや、トヨザキ社長はこう読解した。

 主はムチャブリ。
 それが、一介の書評人に過ぎないトヨザキが『聖書物語』を物語としてざっと通読し、抱いた感想です。……(創造主は敬虔な僕〈しもべ〉たちに残酷な試練を課す)
 そう、旧約聖書における主は演出家なのです。放っておくと安楽をむさぼって、のんびりだらだら凡に生きてしまいがちな人間に任せておいたら、ドラマなんてそうそう生まれるもんじゃない。……
(その演出ぶりが気まぐれで、年齢はとんでもなく長寿、朝令暮改というより嘘つき、おおざっぱかと思えば細かい……)
 そういう凄まじく迷惑なキャラクターが、創造主というスケールで存在するのが『旧約聖書』なんです。読みものとして面白くないはずがありません。ロングセラーなのもむべなるかな。

「歯に衣着せぬ物言いと鋭利な書評」がこの人の持ち味だが、パラパラめくっていると、「これは書評ではありません」という文句があった。
「打ちのめされたい」の項、『チロ愛死』荒木経惟河出書房新社)。愛猫の闘病と死を収めた写真集。チロの死後、荒木は空ばかり撮っていた。

……空、空、空、空。荒木さんが眺めた空の写真を見て、わたしは自分の“その時”の気持ちが胸が苦しくなるほどくっきりと思い出されて、唇が震えるのを押さえられませんでした。ただの空なのに。ただ毎日頭の上に広がっている空が、どうしてこれほどの悲しみをつれてくるのか。
 これは書評ではありません。わたしには、この写真集の書評なんて書けません。今はいない猫たちのことを想うことしかできません。

 思い出してしまうのですね。
「あとがき」より。

 書評を書く人間の願いはただひとつです。自分が面白いと思った本を、大勢の方に読んでいただきたい――それだけです。

 書評家は「香具師」。ウソはいけないが、芸が必要、それは魅力的な文章だ、と。 
装幀 芥陽子  イラスト 宇田川新聞
(平野)