週刊 奥の院 1.30

■ ルーシー・ワースリー  中島俊郎・玉井史絵 訳 
『暮らしのイギリス史  王侯から庶民まで』 NTT出版 3600円+税


 著者は歴史家で、ヒストリック・ロワイヤル・パレス主席学芸員(ロンドン塔、ケンジントン宮殿など主要な王宮を監督管理)、BBC放送の歴史番組監修。
(帯)

壁の向こうで繰り広げられるふだんの暮らしを覗いてみたら……。
起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまで、人々はどのような日常を送っていたのか。
中世から現代にいたる変遷を描く優雅でユーモラスなイギリス生活史。

 原題、“If Walls Could Talk  An Intinate History of the Home”


第1部 寝室の歴史  なぜ見知らぬ者同士が同じベッドで寝たのか?
●ベッドの歴史 ●出産 ●授乳 ●下着 ●クロゼット ●病気 ●セックス ●妊娠 ●性癖 ●性病 ●夜着 ●国王の寝室 ●睡眠 ●暗殺

第2部 浴室の歴史  なぜ水洗便所は開発から普及まで二百五十年もかかったのか?
●浴室の衰退 ●入浴復活 ●浴室誕生 ●歯磨き ●整髪 ●化粧 ●便所 ●水洗便所 ●落し紙 ●月経

第3部 居間の歴史  なぜランプ磨きは召使たちに嫌われたのか?
●寛ぎ ●過剰装飾 ●暖房と照明 ●召使 ●掃除 ●儀礼 ●歓待 ●恋愛 ●葬儀

第4部 台所の歴史  なぜ富裕者は果物に食指を動かさないのか?
●調理人 ●台所 ●悪臭 ●料理 ●冷蔵庫 ●食事時間 ●嗜好品 ●食物 ●食事作法 ●ソース ●酩酊 ●皿洗い

結び 過去の教訓
 
私たちが日常生活を過ごしている住まいは、「幾世紀にもわたる文化変容によって生まれたもの」。

……かつて寝室は雑魚寝状態でやすむ半ば他人との公共の場であったが、睡眠とセックスだけに特化するようになったのはたかだか十九世紀になってからにすぎない。同じように浴室も十九世紀末になるまで独立した部屋として存在すらしなかった。……

 浴室の発展は、技術革新ではなく清潔感に対する意識から。余暇を楽しむ経済的余裕によって居間ができた――主人が客をむかえて理想的生活を演出する舞台となった。台所には、食の安全、輸送、調理法、ジェンダーなどの問題がからみ合っていた。……

 著者は過去の作業や習慣を実体験した。ヴィクトリア朝時代の台所レンジを黒鉛で磨く(週2回、90分かかる作業、光沢が出るまで磨く。著者は爪に入った磨き粉除去に1週間かかった)。配管のない浴槽に湯を運ぶ。ガス燈点灯。下水道のなかを歩く。チューダー朝時代のベッドに寝る。海水から作った秘薬、尿による染み抜き……。

 身のまわりにある一つひとつの「モノ」にこそ、語るべき物語がひそんでいるのだ。

 個人的興味はやっぱり「寝室」。
 その寝室が共用状態だから、性行為の場所は……、どこでもいい。中世の若者は道端や野原のほうが都合がよかったらしい。
 近代になっても、若者たちが睦まじい仲になるプライベート空間は不足していた。婚約した男女が女性側の両親の好意で寝室で過ごすことがあっても、身体をロープでしばったり、二人の間に板を壁代わりにした。
 
 あれこれと意外な変遷があるのだが、「結び」で著者はこう述べる。

 今日の住居は以前に比べてはるかに暖かく快適になり、掃除も便利になった。だが、住居の未来を考えるにあたり、われわれは今一度過去を振り返り、先祖の家から多くを学ばなくてはならない。石油資源が枯渇しつつある現代にあっては、産業革命以前の時代の教訓が未来への道筋を示してくれるに違いない。……

 イギリスでは、新築家屋の設計を規制する法律がある。部屋は多機能であるべし――高齢者を想定して居間にベッド空間確保、浴室に行くためのリフトを設置できる部屋を一階に、など。また、中世に回帰を図る現象がある。煙突の復活――暖房用だけではなく換気のため。壁は断熱のため厚く、窓は小さく。節水、自然建材など。将来合成洗剤は使えなくなり、掃除に労力がいる――旧式家事の見直し。

……今日のわれわれは、格差拡大社会で生活を営みながらも、自らと異なる社会層の人々の経験を真剣に理解しようとはしていない。われわれは、あまりにも長いあいだ、居心地のいいわが家に引きこもり、自己満足に浸って窓から世の中を見てきたのだ。今や子供でさえ、疑心暗鬼の親の手で幽閉された囚人と化してしまった感すらあり、近隣住民との関係も希薄になってきている。だが、十八世紀以来生活を支えてきた天然資源が枯渇しつつある現在、自己変革を経て、より平等に労働とその成果を分かち合う時期に来ているのではないだろうか。……

 
 日本でも「江戸時代」のエコロジーが見直されている。
訳者、中島甲南大学英吉利狸教授。玉井同志社大学教授。
(平野)