週刊 奥の院 1.4
■ 小沢昭一『俳句で綴る 変哲半生記』 岩波書店 2600円+税
「変哲」は俳号。
初めて俳句を詠んだのは昭和44(1969)年東京やなぎ句会。
句会のメンバー、入船亭扇橋、永六輔、江國滋、大西信行、桂米朝、永井哲夫、三田純市、柳家小三治、矢野誠一。
最初は俳句を口実に集まって、遊んでいるような心持ちでしたが、そのうちだんだん句作が面白くなってまいりました。それは、俳句を詠むことで、本当の自分と出会えることに気付いたからです。(詠んだ句4000超)どの句にも「自分」というものがチラチラと出ているように思えます。
特に「駄句」にこそ私らしさが現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました。まさに、これも私メの半生記と申せましょう。……
最初の会合の題は「煮凝(にこごり)」。
スナックに煮凝のあるママの過去
(パラパラめくって「煮凝」もうひとつあった。平成23年11月。 煮こごりやママ独身といふ噂)
「遊び半分」というコトバの、あとの半分もまぁ程々。俳句にイノチはかけずに、ただイノチの洗濯をさせて頂いております。
まったく俳句のおかげで、これは嘘にもイノチのかかっている俳優稼業が続けられたと、今にしてつくづく思うことしきりです。
月に一回、十七日と決めた句会に、気心の知れた仲間と、何のワダカマリもなく、バカ話に花を咲かせる。暴言、放言、悪口雑言を飛び交わせることで、どんなに日ごろのツカレがとれて、よみがえることが出来たか。そんな友達がいることに感謝しきりでして、その仲立ちをしてくれる俳句にも手を合わせるのであります。
平成24年1月の句。
めでたくもまたこの顔ぶれの初句会
変わりばえせぬもめでたし初句会
むく苦労せずの昔や悴む手
炭団(たどん)まだ積もる話に赤味さす
寒餅や上京の婆長ばなし
子の日草知るか知りたくもねえペンペン
裏店の生まれ育ちや福寿草
変わりばえせぬ俺も句も年あらた
ふるさとの山より老母新十両
平成6年1月の句に、
初句会句癖書き癖座り癖
というのがある。今年の句会に小沢はいない。
小沢は巳年。12年前の正月の句。
遥かなる次の巳年や初み空
小沢昭一というと、私は、
♪ハーモニカがほしかたんだよ〜 どうしてかどうしてもほしかったんだ〜♪
を思い出す。谷川俊太郎作詞だそう。ハーモニカの句があった。
落第や吹かせておけよハーモニカ (昭和61年3月)
無理やりこじつけ、
どれみふぁそらしどふぁみぞれしとしと (昭和48年12月)
(平野)
還暦の次の巳年はSFや