週刊 奥の院 12.30

■ 学習院大学史料館編 『絵葉書で読み解く大正時代』 彩流社 2800円+税 
 史料館は1975年開館、大名・公家の史料収集、整理、保存と公開を目的。本書は同館で開催した「大正の記憶 絵葉書の時代」展の資料をもとに大正時代を読み解く。
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/
第1章 明治の終わり、大正のはじまり  明治天皇崩御 乃木大将殉死 大正天皇即位 
第2章 写された大正  ストックホルムオリンピック 第一次世界大戦 帝都の祝祭 皇太子外遊 大正文化 関東大震災 他
第3章 大正から昭和へ 昭和天皇即位 絵葉書に見る震災復興
大正時代年表

 今日「絵葉書」として親しまれているのは、旅先の風景や名所、美術館・博物館や展示会の出品物を写したものであって、特定の出来事との関連は薄い。だが、意外なことに、大正時代(1912〜26)の絵葉書には時事的性格のものが少なくなかった。それどころか、絵葉書は大きな出来事を視覚的に報道する最先端のメディアだったのである。皇太子(後の昭和天皇)の外遊や博覧会の開催などのめでたいことだけでなく、関東大震災のような大災害も絵葉書になった。誰かが絵葉書を買い、それを知り合いに送ることによって、起きたばかりの出来事の視覚的情報は速やかに広まったと思われる。受けとった人びとは、「百聞は一見に如かず」と、絵葉書に報じられた出来事を受けとめたことだろう。……

 関東大震災直後から、被害の様子は絵葉書になって全国に広まった。被災者の姿が被写体となっている。東京の新聞社が被害を受けたため新聞は発行できない、編集や製本もできない状態で、絵葉書が「メディア」となった。カメラマンは人の不幸を写すのだから当然被災者から批判されたでしょう。正視できない写真もある。

……しかし、大津波の襲来や巨大地震の再来、あるいは「朝鮮人」に関する流言蜚語が拡散する中で、唯一真実を伝えたのが写真であったこともまた事実である。粗製乱造の薄っぺらな絵葉書があるからこそ、現代の私たちは関東大震災が発生した直後の様子を生々しく知ることができるのである。

 制度としての「絵葉書」の始まりは1900(明治33)年の「私製葉書」認可。信書としてメディアとして飛躍的に成長する。そのきっかけは1904年からの日露戦争。軍事郵便に使用され、逓信省が「戦役紀念絵葉書」を発行して、郵便局窓口は大混乱する。計8回17種類の戦争絵葉書が発行された。民間業者も戦地慰問用に発行した。

……瞬く間にブームが日本中を覆い、あらゆるデザインの絵葉書が作られた。子どもから大人まで、美しい絵葉書の虜となり、絵葉書収集という趣味が生まれた。絵葉書は「ビジネス」となり、著名な画家やデザイナーが起用され、印刷技術の発展も相まって色とりどりの美しい絵葉書が誕生した。
……絵葉書は単に“綺麗なカード”であったわけではない。“メディア”としての役割を担っていた。また、現在の目から見ると貴重な“記録”の意味もある。
……失われた時間、空間を現代に蘇らせる最良のツールである。

 昭和に入ると、絵葉書も戦争宣伝の役割を果たす。画家やデザイナーも呑みこまれた。

……もちろん、戦争や軍国主義だけが昭和の姿ではない。しかし、文化の成熟や都市の発展といった華やかな部分に隠れて、軍靴の響きが徐々に人びとの生活に忍び寄っていったこともまた事実であり、それを絵葉書は伝えている。

(平野)