週刊 奥の院 12.27

■ 吉田知子選集1 脳天壊了(のてんふぁいら)』 景文館書店 1500円+税 
 吉田知子、1934年浜松生まれ、満州育ち、終戦時は樺太。47年引き揚げ。70年「無明長夜」で第63回芥川賞。80年代から90年末にかけて女流文学賞川端康成賞、泉鏡花賞など受賞。しかし、現在著書は入手困難。
 表題作品は77年「新潮」掲載。満州帰りの二人の男の奇妙な関係。
「くされ縁」というヤツ。
 杢平は中瀬が死にそうだと聞いて様子を見に行く。
「そう遠くはない。歩いても二時間半か三時間あれば行ける」
 時折幻想をまじえながら思い出を語る。
 中瀬は杢平より4歳上、子どもの頃から顔見知りという程度の仲。再会したのは北満、まだふたりとも20代の頃。杢平は開拓団の伯父を頼って来たが、うまくいかず帰りの旅費を稼ぐつもりだった。中瀬は景気が良さそうで、自分の下で働けと誘ってくれた。今でいう「パシリ」。危ない仕事もした。
人を殺す現場も見た。そのあと中瀬が、無力感いっぱいでいる杢平を殴って「のうてんふぁいら、だよ、お前は」と言った。
終戦のドサクサ、「乞食まがいのことをし、物を売り、盗みをして、見るも哀れな姿でようやくの思いで、親のところへ引き揚げて」きたら、すでに中瀬は闇屋の親分になっていた。また手下になった。
 中瀬は杢平にいろいろ物をくれた。昔は銀時計。値打ち物の根付の翡翠はくれなかった。今でもくれるが、ろくでもないものばかり。金もくれる。

……何回貰っても杢平はあたり前のような顔はできなかった。拒めずに受けとるのが判っていながら、その度にこだわる。ほいよ、と横柄に投げてよこしながら中瀬は杢平の顔がこわばるのを面白がっている。

 杢平が金を貸したことがある。それを返してくれない。言いがかりまでつける。
 それでも、杢平はまた中瀬のところへ行く。
 

 散歩のつもりで家を出る。ただ散歩という習慣は杢平にはないので、結局、散歩すなわち中瀬と決まっているのに、自分ではそれを認めたくなくて、一時間半も歩いてから「ついでだから」と自分自身に弁解する。……
「まだ生きてるのかよ。死にづよいのう、あんたぁ」
「死んだら死んだでいい。いくら威張ったって、はぁ駄目だ。死ぬ者損って言うでな。お前は、はぁおしめえさ。鼻の穴に指つっこまれたって、目玉ほじくられたって、しょうがないだ」
(飲めない酒を飲みながら死んだ中瀬に話しかけている。死体を見世物にしようと思いつく。口上も考える。酔いがまわってきて……)
 土間で声がした。
「誰かいるみたいだね。もう知らせたんかね」
「ああ。あれね、おじさんの友達でね。どうしてわかったのかね。まぁ、ただの友達じゃないで虫が知らせただら。そりゃあもう、夫婦以上だったから、あの二人は。向こうでも組んでたっちゅうし、何十年になるかねえ。あの衆は、ずうっと、一番いい友達だっただ、ずうっとな」

 他人から見ると、そう見える。
 巻末に町田康による「脳天壊了」への四題
「脳天壊了」を全文読んだうえで、そのおもしろさを凝視して以下の問いに答えてください。
 と出題。読解のポイント(?)を示唆する。 
 他の収録作品。
ニュージーランド  乞食谷  寓話  東堂のこと  お供え  常寒山(とこさぶやま)
 愛知県岡崎市で活動する出版社。 http://keibunkan.jimdo.com/
写真は名刺サイズの栞。 
(平野) 
「脳天ファイラー」という言葉を子どもの時に使っていた。日射病みたいになることを言った。中国語とは想像もしなかった。