週刊 奥の院 12.9

■ 四元弥寿(よつもと やす)著 飯倉洋一 柏木隆雄 山本和明 山本はるみ 四元大計視 編
『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』 和泉書院 
2500円+税

 百年の長きにわたり大阪浪速の古書肆として、扱う書籍の質、量ともに内外の学者、趣味人、蒐集家たちの衆望を集めたことは、店の無くなった今も語り草になっている。……(柏木)


 初代鹿田清七(のち静七)は、江戸・文政の頃、河内屋新次郎(岡田積小館)で修業。大塩平八郎の軍資金捻出蔵書処分に立ち会った。天保14(1843)年31歳で独立、北久太郎町に開業、当初は貸本屋。屋号「松雲堂」は儒者篠崎小竹につけてもらった。古書籍・出版も扱うようになる。
 初代が亡くなった時、二代目はまだ17歳。一家を背負い、古書肆を経営。幕末から東京で発行された新聞「中外新聞」を販売、大阪府知事後藤象二郎のすすめで「内外新聞」を発行(7号で廃刊)。明治元年「明治月刊」発行。25歳の時、心斎橋筋安土町に移転。新刊、教科書も扱う。雑誌発行、「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」販売も。明治11年書籍商組合の代表議員となり業界全体の発展にも尽くした。古書籍では、明治23年大阪で初の目録「書籍月報」を刊行。史料展覧会、古書展を開き、店舗は文化サロンとなった。
 三代目は明治24年に入店。二代目に見込まれ養子縁組。目録販売を継承し、古書籍組合の初代組合長に就任。帝国大学の各図書館に納入する。
 四代目から洋書も扱う。年2〜3回古書市を開催。旧家や著名人の蔵書売立てを主催した。しかし、戦争が悲劇を生む。空襲で店と家族を失い、たび重なる疎開や移転で何度も大量の書物移動。四代目は心身とも無理を重ね、戦後まもなく49歳で逝去。長男が再興を目指すが「努力は口惜しくも実らぬ結果」となる。
 四元弥寿は四代目の長女。これまで保存された文化資料をもとに、平成10年頃から本書の執筆を開始。残念ながら彼女も平成22年に亡くなる。大阪の大学関係者たちの協力でこのたび出版。
 肥田晧三(元関西大学教授)が語る。

……松雲堂南支店(心斎橋店)は和本専門店ながら、大へんモダンな表構え、左右のガラス扉を押して出入りする店の造りが、その頃の心斎橋筋でも際立ってハイカラで、中央のショウィンドウに古典籍が飾ってあった。……昭和十九年の中学二年生の時に、私はここではじめて買物をして『物類称呼』と『大阪島之内燈心屋孝女伝』の二点を購入したのであった。……しかしながら、翌年の昭和二十年三月十四日の戦災で松雲堂の店も私の家も焼失、買ったばかりの本は灰燼に帰した。たった一回きりの買物であったが、七十年前のその日の店内の様子が不思議に今でも鮮明に思い出される。(原文は旧かな)

   
(平野)