週刊 奥の院 11.24

■ 『山中暦日 辻まことアンソロジー』 柴野邦彦 編・解説 未知谷 2000円+税 
 同社の辻まことアンソロジー3冊目。
 本名・辻一(まこと・1913〜75)、詩人・画家・グラフィックデザイナー。山、スキー、少年時代の野遊びの思い出などを綴る画文集。
 父親は妻の出奔後放浪生活に、まこと少年は祖父母・親戚に育てられた。
 柴野が「居候に候」という文章を紹介する。

……誕生から居候であり、居候として育ち、居候として成人した。さいわいにして小生は、至極五体健康な少年で、表へでて飛び歩くのがうれしくて忙しい単純な生物だったから、そして頭の働きの方はちょっと敏感でなかったせいで、甘粕事件で野枝さんが死んだときいても、へへえ、と思ったきりだった。……居候には意見がない。意見などあれば、とうてい居候はつとまらない。そこがいやになったら、あそこに移ればいいし、あそこがだめなら、あさってに向かえばいいのである。……

 弱音でも卑下するのでもない。常に孤独と一緒だったのでしょう。
 15歳のとき父親と渡欧。何度もルーブル美術館に、画家断念。帰国後、職業を転々とし、金鉱探しで山歩き、結婚、戦争……、
 

 特に戦争体験は辻まことに大きな影響を与えた。研ぎ澄まされた居候の眼はここで起きたことに慣れることも、閉じることもできなかった。それは人間のさらなる徹底した不信を植え付けることになった。その後、そこから自分を解き放つことが彼にとっての大きな仕事となった。
 そうして、辻まことは自分の山を発見する。山中暦日を重ねることが自分にとってどれほど必要なことかを認識するのだ。……(柴野・解説)

 表題の文章は、東北の赤毛山・後赤毛山(まことがつけた偽名)に登り、初夏の山中を楽しんだ様子。
 林道を歩き、沢に入り、藪の中を分け入る。

……北側の斜面を一時間ほど下り、北流するキレイな沢の源頭に近い明るい高河原に到着。まだ陽は高いが、当分逗留するための笹小屋の建築に取り掛かる。簡単なものだが三時間ばかりそれでもかかった。火をおこしパンを焼き、ブタ汁をつくった。フキをゆでてアクをぬき翌日のオカズをつくる。屋根に葺く篠竹を刈りはらった跡の草地に深い穴をあけ雪隠兼ゴミ捨て場を制作した。流木で囲ったら立派なトイレットになった。満足してゆうゆう夕食にする。向かい山の後赤毛の山頂に夕陽が当たって美しい。シェリーグラスにドリサックを満たし、白いナフキンをひろげた上にツマミを並べて第一夜を祝う。すこし烟たいがこれぞ王侯の饗宴というわけである。……

 ここを根城に山頂をめざし、沢で岩魚を釣り、スケッチしたり、日記をつけたり。
「この別荘に四泊して機嫌よく山をおりた」
(平野)
「ドリサック」が何かわからず。スペインのシェリー酒「ドライサック」のことらしい。
古本市、行列はできなかった。けど、待っている人、約2名。時間が経つにつれ、盛況。女子率高し。