週刊 奥の院 10.24
■ 岡崎武志 『上京する文學 漱石から春樹まで』 新日本出版社 1500円+税
「赤旗」連載(2010.8〜11.12)に加筆、新たに「村上春樹」も。
そして誰もが上京していく――『上京する文學』序説
私は一九九〇年に大阪から東京へ出てきた「上京者」である。三十歳を過ぎていた。大阪北摂の高校で国語講師をしていたが、見切りをつけ、書く仕事を求めて東京へ出てきたのである。
知り合いも友人も就くべき仕事も書く媒体もない、まさに裸一貫の突進であった。それでも新しい部屋で新しい朝を迎えて、そこが「東京」だった時の興奮を今も忘れていない。
三代以上続いた江戸っ子や、生まれついての東京人には、この「上京者」の昂りや憧れ、東京で住み暮らす不安と期待はわからないだろう。……
地方出身者のエネルギー、地方出身だからこそ新鮮な思いで眺めることができる風景や人々……。近代大都市の発展、また大震災、大空襲、バブルなどの破壊、作家たちがいつの時代に「東京」にやって来たかで、見えた風景が違うはず。
本書では、答えを求めず、上京者および上京してくる主人公の心に寄り添いつつ描いた作品を読んでゆく。
斎藤茂吉 上野駅のまばゆい明るさに驚いた
山本有三 ぶら下がった鉄橋の彼方は東京
石川啄木 甘ったれの借金王、十二階に登る
夏目漱石 汽車は上京の予行演習だった
山本周五郎 江戸っ子よりも江戸っ子らしく
菊池寛 田舎者が描いたモダン都市東京
室生犀星 東京に「ふるさと」を発見した詩人
江戸川乱歩、宮澤賢治、川端康成、林芙美子、太宰治、向田邦子、五木寛之、井上ひさし、松本清張、寺山修司、村上春樹。
故郷をあとにした作家本人が主だが、漱石は江戸者ながら上京する若者を描いた。向田は東京生まれ、父親の仕事で全国各地を転居。
〔村上春樹〕は。
68年早稲田合格で上京。最初に住んだのは学生寮。先に送った荷物が届いていなかった。コートのポケットにあるのは煙草とライターとアップダイク『ミュージック・スクール』。
仕方なく、村上はコカコーラとビスケットを買ってきて、アップダイクを読み続ける。 夜の八時半に読み終え、しばらく天井を眺めながら考える。
「僕はこの巨大な都市に布団もなく髭剃りもなく、電話をかけるべき相手もなく出かけるべき場所もなく、たった一人で放り出されていた。でもそれは悪くない感情だった」〔『象工場のハッピーエンド』(新潮文庫)より〕
『ミュージック・スクール』邦訳が出るのは2年後。さすが春樹は原書で。
岡崎は村上の東京暮らしを追う。81年、彼が作家一本でやっていくことを決意して船橋に移ったことを、「上京」の終わりと解釈する。
装幀:間村俊一
表紙は絵はがき(生田誠提供)
各章のカットは著者。
(平野)