週刊 奥の院 10.12

■ 江國香織 『犬とハモニカ』 新潮社 1400円+税 
短篇6作品。
表題作は第38回川端康成文学賞受賞。
トーホクでボランティア活動するために来日した青年、海外在住の娘を訪ねた老婦人、妻子は旅行帰り・夫出迎え、大家族一行、出張帰りのビジネスマン……、各人の事情と、空港ロビーで荷物を待つ間の出来事とそれぞれの関わり。「犬」は大家族の連れ、「ハモニカ」で大家族の“悪ガキ”が騒音を出していた。
 
今週のもっと奥まで〜
収録作品『ピクニック』より。
 日曜日、自宅から5分の公園に夫婦でピクニックよく出かける。結婚して5年、夫は妻の会話の受け答えが妙に思う。
「幸福だ」と言ったのに「いいわ」と言う。それに夫の名前を覚えていない。

……
 賭けてもいいが、いまでも、彼女は僕の名前を正しく記憶していないだろう。というのも、一昔前の夫婦みたいに、彼女は僕を「あなた」と呼ぶようになったからだ。あなた、これを見て。あなた、これを食べてみて。あなた。
 僕の名前など、杏子にとっては意味のないものなのだ。
 あるいはまた。杏子は僕に、甘い言葉を囁いてくれたことがない。僕が囁けば例の心地いい声で低く笑って、嬉しいわ、と、こたえる。それだけだ。私もあなたが欲しい、とは決して言わない。ベッドでは、それがさらに顕著になる。僕が望めば、望んだ分だけ時間は濃密になる。杏子は白いすんなりした脚をひらき、背を反らせる。あるいは僕にまたがり、髪をふりたてる。僕自身を深々とくわえることも、僕が彼女の茂みに口を埋めることも、足指一本ずつをしゃぶることも、嫌がりはしない。僕は猛々しくなり、切なくなり、乱暴になる。乱暴になるまいとして、さらに切羽詰る。彼女を突き、覆いかぶさり、耐えて、離れ、また突いて、突く。やがて呼吸を忘れる一瞬が訪れ、ふううう、と解放される。
「すばらしかったよ」
 息を乱しながら僕が言っても、彼女は不思議そうな顔をしている。そして、
「それならよかったわ」
 と言ったり、
「そうなの?」
 と言ったりする。
 そのようなこと、些細なこと、とがった芝生に似て、Tickleなこと。ささくれのように、深刻なこと。
……

 どうしてピクニックが好きなのか訊く。
「外で見るほうが、あなたがはっきり見えるんだもの。あなたの大きさとか、手のかたちとか、声とか、気配とか」
「家のなかでは、僕のことが見えないの?」
「見えるわ。でも、よく見えないの。……いいもののように」
「僕」は打ちのめされる。ほんとうのことを言う勇気に。
 妻は魔女なのか?

(平野)
11月の【海】のイベント
■ 成田建和写真展  
―from KOBE みなとの写真館?― 飛鳥?と旅した夏 瀬戸内海・九州紀行

11・3(土)〜4(日) 10:30〜19:00 2Fギャラリー
 写真は因島大橋を通過中。

■ もふもふ堂イラスト原画展  なつかしの昭和 KOBEの風景
11・9(金)〜11(日) 11:00〜18:30 2Fギャラリー
 市電の走る風景  ポートピアの頃 他
 絵はJR神戸駅前から兵庫区南部に向かう市電線路。