週刊 奥の院 10.9

■ 佐高信 『飲水思源  メディアの仕掛人(プロデューサー)、徳間康快(やすよし)』 金曜日 1500円+税 
イラストレーション:いわほりけん  装幀:間村俊一

「飲水思源」は中国の言葉で、水を飲む時にはその井戸を掘った人を思えという意味である。コウカイならぬゴウカイ(豪快)とも呼ばれた徳間康快は文化の井戸を掘った。それも必ず水が出ると信じて掘ったのではなく、徒労に終わっても掘り続けなければ水は出ないと、さまざまな井戸を掘り続けた。……

 徳間康快(1921−2000)は元読売新聞記者で共産党員、レッドパージで「読売」を去り、別の新聞社(松本重治経営)、出版社(中野正剛の長男経営、埴谷雄高野間宏の著作出版)を経て、「徳間」の前身である出版社を引き継いだ。「徳間」と言えば『アサヒ芸能』=ヤクザ+エロ+ギャンブル。大親分の本を出す一方、「中国の思想」シリーズや、別会社「現代史出版会」で社会派の本を出版した。宮崎アニメを見出し世に出した。経営困難になった新聞社、映画会社、レコード会社も引き受けた。1967年から、雑誌『中国』の発行元にもなった。72年、日中国交回復後、休刊したが、友好の地ならしを果たした。映画『敦煌』制作の時、部下たちは絶対損すると止めた。

「中国から儲けちゃいかん。日本人はさんざん悪いことをしたんだから」と言って、押し切った。(莫大な損害だったそう)
「心配するな。カネは銀行にいくらでもある」
「借金取りは墓場までは来ない」
 こんな語録を遺した徳間は夢を売る男だった。ホラに近い夢もあったが、もともと、夢とホラは紙一重であり、ある人にはホラと聞こえるものも、別の人には夢と映る。
 この文化の仕掛人、あるいはスーパー・プロデューサーに対しては、いい評判だけではなく、悪い評判もころがっている。
「清濁併せ呑むというけれども、オレの場合は濁々併せ呑むだね」 
 しかし、おカネを残さなかったことだけは確かだった。

 第一章第一節「オレはだまされた」
 徳間の腹心・三浦(佐高の親友)が『追悼集』に寄稿している人物を見て語る。
「徳間さんが嫌っていた人が並んでいる」
 徳間の最期の言葉は「オレはだまされた」だった。
 一体、誰に?
 佐高はマスコミのボス二人の名をあげる。

“メディアの仕掛人”といわれるくらいだから、登場人物は政・財・文・芸・裏、幅広い。面白いエピソードがいっぱいある。
 徳間が新聞『東京タイムズ』を引き受けた時、パーティー田中角栄首相が祝辞。
「……田中批判けっこう、自民党批判も大いにやってください。自民党はつぶれてもいいが(爆笑)、『東京タイムズ』がつぶれたら大変です。そのために、みなさんの力を貸してやってください。……」
 昔の保守は大きな抱擁力があった。現在の偏狭な奴らとはモノが違う。
 佐高のデビューも『東京タイムズ』。今同様、大御所を批判していたが、徳間から注文をつけられることはなかった。

「濁々併せ呑む」徳間は言ってみれば、絶対値の大きい男だった。それにプラスの符号をつけるか、マイナスの符号をつけるかで評価は分かれる。
 私は、とにかく、徳間の絶対値の大きさを描きたかった。その振り幅の大きさに惹かれたからである。……

(平野)
懐かしい人が訪ねてくれた。元は出版営業マンで、現在ライター。ほぼ20年ぶり。雑誌の署名記事や書評で元気なことは知っていた。今春初の単独著書出版、当ブログで紹介したら、お礼メールをくれた。来年2冊予定だそう。