週刊 奥の院 9.21

今週のもっと奥まで〜
■ 神崎京介 『女薫の旅 八月の秘密』 講談社文庫 648円+税 
 web連載「女薫の旅」。主人公山神大地は伊豆修善寺の高校生。「女性の心と体を巡る長い長い旅」の最中。場面は、高校生活最後のサッカーの試合終了後、下級生の母親と一緒の帰り道。下級生真世ちゃんは入院中。実は以前、すでに……。 

「お母さんはこの後、病院に戻るんですか? 真世さん、検査だって言っていましたよね」
「戻ってもいいし、戻らなくてもいいかな。……毎日お見舞いに行っているから、あの子、わたしの顔に飽き飽きしているのよ。さっきも憎まれ口を叩いたのよ。『お母さんなんて、世界一大っ嫌い。顔も見たくない』って……」
「入院していて気持がクサクサしたから言ったまでで、本心ではないですよ」
「ありがとう、真世の気持を思い遣ってくれて……。わたしも、わかっているから、大丈夫よ。まあ、いざとなったら、病院に電話して、今日は戻らない、と伝言してもらうから……」
 お母さんは伏し目がちに恥ずかしそうに言った。刹那、透明感に満ちた白い肌が、薄いピンクにほんのり染まった。
(可愛らしい人だ。きっと、エッチなことを考えたせいだ)
 大地はお母さんの顔をまじまじとみつめた。
 お母さんは身の置きどころがないといった雰囲気で肩をすぼめて、顔を伏せた。頬を染めるピンクが濃い赤に変わった。お母さんが放っている気配が明らかに濃密なものになった。
……
「本当のことを言うとね、君が原因で、娘と喧嘩したの……。大人気ないって叱られそうだけど、娘とわたしとどっちが、君のタイプかってことを競っていたの。検査の直前まで」
「真世さんが『大っ嫌い。顔も見たくない』といったのは、お母さんに言い負かされたからですか? だとしたら、お母さん、大人気ないですよ」
「仕方ないの。母も女だってことを娘にわからせたかったし、言葉で負けたらそのまま山神君を取られそうな気がしたから……」
「そんな流れで、病室を出てきたんなら、戻ったほうがいいですよ、本当に。真世さんの気持を考えてあげてください」
……
「ぼく修善寺に帰ります。お母さんは病院に行ってください」
「帰っちゃうの? こんな中途半端なままでお別れなの?」
「ううん、そんなことしません。ぼく、おかあさんの望みをかなえるつもりです。夕方には帰るでしょう? その頃を見計らって、坂の上のおかあさんの家に行きます」
「ほんと?」
「ぼく、今までお母さんに嘘をついたことはありません」
「ああっ、うれしい」
 おかあさんの頬の赤みが濃くなった。潤んだ瞳に力が戻ってきた。迷いが吹っ切れたようだった。
……

(平野)