週刊 奥の院 9.18

柳田國男没後50年 

■ 柳田國男 『新訂 先祖の話』 石文社 1800円+税  
初版は昭和21(1946)年4月筑摩書房より。敗戦の年(前年)の4月から本書原稿を書いていた。
……戦後の読者を予期し、平和になってからの利用を心掛けていた……
と書き始める。

……家の問題は自分の見るところ、死後の計画と関連し、また霊魂の観念とも深い交渉をもっていて、国ごとにそれぞれの常識の歴史がある。理論はこれから何としてでも立てられるか知らぬが、民族の年久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を安んじて追随せしめることができない。家はどうなるか、またどうなって行くべきであるか。もしくは少なくとも現在において、どうなるのがこの人たちの心の願いであるか。それを決するためにも、まず若干の事実を知っておかねばならぬ。……
 日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる即断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を集めて保存しておきたいというだけである。……

「先祖」の理解が二通りある、という。
 まず、文字によってこの言葉を知った者は家の最初の人ただ一人が先祖と思う。たとえば、歴上の有名人の名をあげる人。文字の教育が進むと共に、「この意味が強く浸み込んで行くのだが、この方は実は新しくまた単純である」。
 家でその有名人を祭っているだろうか。
 もう一方は、耳でこの言葉を聴いて「古い人たちの心持ちを汲み取っている者」。先祖は祭るべきもの、自分たちの家に必ず伴うものと思っている。親・祖父母・曽祖父母、その親……。
「言葉は同じでも心持ちはまるで別なのである」。


■ 現代思想 10月臨時増刊号』 総特集 柳田國男 『遠野物語』以前/以後 青土社 1429円+税 
 http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791712502
 「編集後記」で、マリリン・モンローヘルマン・ヘッセと柳田が50年前の8月に亡くなっていることを知る。
編集人、「歪んだおのれの記憶の遠近感からは、三人のたまたまの同時代性に驚くが、その夏も暑かったのだろうか。何の脈絡もありはしないし、偶然にすぎないが、あえて三人の共通点を挙げてみる、表層的ではあるが」と、「越境あるいはインターナショナル」をキーワードに。読んでください。
遠野物語』巻頭に「此の書を外国に在る人々に呈す」とある。
(平野)