週刊 奥の院 9.16

■ 講談社文芸文庫 編 『個人全集月報集 安岡章太郎全集 吉行淳之介全集 庄野潤三全集』 講談社文芸文庫 1600円+税 
 講談社版全集の各巻に添えられた月報――友人・評論家らが寄稿、全集所有者しか読めない――を公開。
 まず、「第三の新人」三氏。
【安岡】 刊行は71年1月から7月。芥川比呂志、北原武夫、遠藤周作島尾敏雄開高健埴谷雄高ら21人。
【吉行】 71年7月から72年2月。北壮夫、庄野潤三野坂昭如瀬戸内晴美吉村昭ら24人。
【庄野】 73年6月から74年4月。井伏鱒二井上靖藤沢桓夫永井龍男草野心平庄野英二ら31名。

 吉行は自ら8回も書いている。「全集刊行に際しての弁」より。

 生きているうちに「全集」とは、矛盾している、とはよく言われる言葉である。この命名は、私のほうから言い出したわけではないので、「作品集」とか「選集」あたりが、無難には違いない。しかし私は、「全集」もまたよし、とおもう。大家の全集には、断簡零墨まで集められ、初出から変動までチェックされているが、私の考えているのはそれとはまったく別の意味である。つまり、現在生きている四十七歳の私が、捨てがたい作品を自分で選んだり、ディティールの重複箇所を削ったりする作業をおこない、これがいままでの全作品であると確認した、という意味である。……


■ 丸谷才一池澤夏樹・編 『怖い本と楽しい本  毎日新聞「今週の本棚」20年名作選 1998〜2004』 毎日新聞社 3500円+税 

「今週の本棚」20周年記念、第2巻。  
池澤夏樹「悪魔の弁護人」より。
 池澤が沖縄に住んでいた頃、実際に見た光景。近くの商店で子どもたちが駄菓子を選ぶのに迷っている。初老の店主がぽつりと一言――「迷うのが喜び」。
 

 書評の第一歩はまずもって迷う喜びだ。数ある新刊の本の中からどれを取り上げようか。これもいいしこれもおもしろいがしかし一回に扱うのは原則として一冊だけ。何冊かまとめて論じることもあるけれどその何冊かには何かつながりがなければならない。……
「今週の本棚」は書評者が自分で本を選ぶ(書評の多くは指名制なのだよ)。
 だれもが毎回迷う。本が読まれなくなったという嘆きは世に充ち満ちているが、それにも拘らず数万点の書籍が毎年刊行されている。実際の話、名著と良書は毎日のように出ているのだ。それを見つけて世に示すのが書評の役割なのだから迷うのも仕事のうち。むしろ仕事はそこから始まる。……

 本書「名作選」を編集するのも悩み。心を鬼にして選ぶ。
「悪魔の弁護人」とは?
 カトリック教会では「聖者」というものがある。殉教とか奇跡とか、多くの人を信仰に導いた人を推薦する。証拠を添えて。当人の死後かなりたってから決まる。ジャンヌ・ダルクは500年後に「聖者」になった。推す側と反対する側が議論、裁判官に当たるものが最終的に決める。反対する側を「悪魔の弁護人」と言うそう。自分の立場はこれに似ている。

……意地悪をしているのではない。しかし誰かが厳密を計らなければ世の中は聖者だらけになってしまう。それと同じで誰かが選ばなければ『名作選』はいくらでも大きくなる。心苦しい立場なのだ。

 選ぶには基準が要る。
「対象となった本が今も価値があること」
「書評として、一片の読み物として、うまい」

「悪魔」が心をさらに鬼にして選んだ名書評。

(平野)「全国書店新聞」9.15号
http://www.shoten.co.jp/nisho/bookstore/shinbun/news.asp?news=2012/09/15
「うみふみ〜」は書店員仲間との悲しいお別れ(?)。