週刊 奥の院 9.10

■ 黒川創 編 『鶴見俊輔 思想をつむぐ人たち』 鶴見俊輔コレクション1 河出文庫 1300円+税
 人物小伝をまとめる。 
1 自分の足で立って歩く
イシが伝えてくれたこと イシャウッド――小さな政治に光をあてたひと 鯨の腹のなかのオーウェル 金子ふみ子――無籍者として生きる ……
2 方法としての伝記 
戦後の新たな思想家たち 難破と周航 伝記について ……
3 家のなかの夢
伸六と父 義円の母 親子相撲 仁木靖武『戦塵』を読んで ……
4 名残のおもかげ
ヤングさんのこと 大臣の民主主義と由比忠之進  山鹿泰治のこと 武谷三男――「完全無欠の国体観」にひとり対する 四十年たって耳にとどく
登場人物の略歴
解題 黒川創
ひとりの読者として 坪内祐三

 編者は1961年生まれ、作家。10代の頃から「思想の科学」で鶴見と編集活動。最新作は『いつか、この世界で起こっていたこと』(新潮社)。
 解説で坪内が書く。

……(本書)鶴見俊輔の作品集であるものの、それと同様に(あるいはそれ以上に)、編者黒川創の作品集でもあるのだ(アンソロジーを作ることがきわめて創造的な仕事であることを黒川氏は鶴見氏から学んだはずだ)。……
 ならば解説者である私は誰の作品(原文太字部傍点)としてこの本についての文章を書けば良いのだろう。
 焦点が定まらない。
 だから書きあぐねているわけだ。
 黒川創の作品でもある、と私は書いたのだ。……


 黒川は、(1)で「金子ふみ子〜」を置き、最後を「四十年たって〜」で終えている。この編集をもって坪内は先の表現をした。
 金子ふみ子(1903−1926)はアナキスト。大逆罪で起訴され死刑判決、恩赦を拒否して獄中で自死した。
 その金子について鶴見はこう書く。

(日本国家が大家族であるという国家観を明治以来教えられてきたが)ある人にとっては、孝行という考え方をたいせつにしようとすると、親兄弟からはなれて国家のために戦争をするということは不自然に感じられた。その場合には、孝と忠とのあいだにくいちがいがあり、孝のほうをもとにして忠をひかえめに実行しようという考え方も現われる。その反対に、忠をもとにして、孝を抑えてゆくという生き方もあった。さらにまた、忠と孝とを軸として考える家族国家観そのものからはなれて生きてゆこうという立場もあった。金子ふみ子は、そういう生き方をつらぬいた人だった。……

「四十年たって〜」は、1941年ハーヴァードで聞いた哲学者ホワイトヘッドの講義から始まる。
「何度も微妙な保留をつけて、ある仕方で、不滅なるものを信じることを主張したと、おぼえている」
 姉に頼んでその講演録を入手。読み返す。記憶どおりだった。そして「四十年たって耳にとどく」ことば。

 いかなる意味で人類は不滅性をもつか。……事実はすべて過ぎ去る。今ごとにほろびる事実に対して、つづくというのが価値の性格である。何かに価値があるということは、その対象となる事実とかかわりがあってはじめてあらわれるのだが、その事実が今ごとにうつろいほろびゆくということをこえている。価値ありという判断は、今という時をこえるところを指さしている。……

 

 ホワイトヘッドの講演は、今読み返すと、金子ふみ子の獄中手記の最後の部分を思わせる。

「間もなく私は、此の世から私の存在をかき消されるであらう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在のなかに存続するものと私は思つて居る。」(『何が私をかうさせたか』)
 
 獄中の金子ふみ子は、皇太子暗殺をくわだてたといういつわりの罪状によって大正の末に死刑を宣告された。手ぶらで日本政府を相手にたった時、彼女は人生についてこのように感じた。その人間としての性格が宇宙に対してこのように反応したのである。……獄内にとどめられ、素手で政府の力とむきあっている金子ふみ子が、長い手記の終わりに自分の思想を要約した仕方が、教学研究から出発して哲学にむかい八十年余の生涯を生きたホワイトヘッドと似ている。このことから、ホワイトヘッドの結論が、普通人の経験の中にある直感にしっかりとたっているということをあらためて感じた。私は自分の中に、あい似た直感をもち、両者とひびきあうものを感じる。

(平野)