週刊 奥の院 9.6

■ ドナルド・キーン  角地幸男訳  『正岡子規』 新潮社 1800円+税
「新潮」2011年1月号〜12月号連載。
9.19が子規の命日「糸瓜忌」。9・2「朝日新聞天声人語」に、「獺祭忌(だっさいき)」という呼び名もあると。カワウソ。
……カワウソは多くの魚を獲り、祭るように並べて食べるといわれ、「獺魚を祭る」が春の季語にある。子規は、書物を散らかし置く自分をカワウソになぞらえて「獺祭書屋主人」と号した。……
 コラムはカワウソの絶滅を嘆くもの。
 今年は子規没後111年にあたる。90歳の著者による子規35年の評伝。註・索引、40ページ。
第一章 士族の子  第二章 哲学、詩歌、ベースボール  第三章 子規(ほととぎす)の歌  第四章 小説『銀世界』と『月の都』の作者  第五章 従軍記者子規、唐土(もろこし)へわたる  第六章 「写生」の発見  第七章 俳句の革新  第八章 新体詩漢詩  第九章 短歌の改革者子規  第十章 随筆『筆まかせ』から『松蘿玉液』『墨汁一滴』へ  第十一章 随筆『病牀六尺』と日記『仰臥漫録』  第十二章 辞世の句

 第五章、従軍帰国途中の船内で喀血がひどくなる。船内でコレラ発生、一人死亡。神戸で停船、検疫。下痢症の者は上陸。子規も願い出るが許可されなかった。さらに悪化。ついに、全員に上陸命令が出た時、子規は刀を杖に喘ぎあえぎ歩いた。血を吐いた。声も出せなかった。知り合いが気づいて、夕刻にやっと病院に。

……暗くなりかけた頃、子規は神戸病院に着いた。一室に運び込まれ、そこはあまり広くはないが、白壁はきれいで天井も高かった。清潔な蒲団にくるまれて寝台にもぐりこんだ時、子規はまるで極楽へ来たような気がした。あまりに幸せで、これなら芯でもいいと思ったほどだった。事実そうなっても、おかしくはなかった。子規は食べることが出来ず、身体は着実に弱まっていた。……

 陸羯南(新聞「日本」経営者、子規に家と職を世話した恩人)から連絡を受けて、京都にいた虚子が病院に向かう。松山から叔父、東京から母と碧梧桐も。入院費用他の手配は羯南。

……虚子が病室に入った時、子規は壁の方を向いて横臥していた。まったく血の気がなく、動くことも話すことも出来ないほどひどい容態に見えた。子規は虚子の耳元で、血を吐くから動いてはいけないと医師に言われている、と囁いた。喀血を止めるために、重い氷嚢が肺部に乗せられていた。幸いにも若い医師は、氷嚢が子規の皮膚に凍傷を起こし、それが痛みの原因であることに気づいた。子規は前近代的な治療にも拘らず、奇跡的に生き延びた。こうして、俳句と短歌に革命がもたらされることになったのだった。

 カバーの絵、子規「自らをかまきりになぞらえた図」。
(平野)
 当時、神戸病院下山手通8丁目にあった。我が家から数分。子規はここに2ヵ月入院、須磨で1ヵ月療養。