週刊 奥の院 9.2

■ 富岡多惠子 『ト書集』 ぷねうま舎 1800円+税
 文庫解説や自作解説、講演などをまとめる。
「(これらの文章は)作者にとっては、芝居の台本でいえばト書のごときものではないかとふと思い……」 
序章  わたしの土地  知るも知らぬも大阪の――  大阪人の西鶴発見を  圓珠庵 他
第一章 いまどきの景色  動物とのおつき合い  師匠と弟子  フルサト  女殺油地獄  当世出版事情 他
第二章 女と男
第三章 書くことの裏と表
第四章 作者はどこにいる
第五章 めぐりあう  釈迢空  室生犀星  中勘助  西脇順三郎

 西鶴再発見について近代文学史の本で語られる。西鶴は明治の初めまでは忘れられた存在で、発掘したのは、淡島寒月という東京人。古本屋で「写本」を手に入れ、友人の紅葉や露伴に教えて、西鶴リバイバル
 紅葉・露伴も写して読んだらしい。露伴はわざわざ大阪の西鶴菩提寺まで掃苔に訪れている。明治22年、西鶴の墓が無縁塔のなかにあるのを見つけ、志をつけて寺に移葬を頼んだ。彼も東京人。
 富岡は、大阪が文化に冷たいと言っているのではない。
 アイルランドを旅した時、みやげもの屋で買ったTシャツには当地の文豪の肖像画が描かれていた。ジョイス、イェイツ、ベケット、ワイルド……。本屋にも彼らの本がいい場所に並んでいた。
アイルランドは、文学を大事にしているんだなあ、それともこのひとたちが誇りなのか……」
 大阪はどうだろう、近松西鶴をどう思っているのだろう。文学館や資料館もない。

……こういう、大阪の「つれなさ」を、アイルランド文学Tシャツで思い出したのだったが、それを大阪に訴えたい気持や文句をいいたい気持はまったく起きなかった。適当に放ったらかしておいてくれる土地柄を、むしろありがたいような気さえしたのだった。この手の大阪の「つれなさ」は冷淡とはちがって、どこか含羞とつながっていないだろうか。文芸、文学というのは「もっともらしい」ことを嫌うはずだ、それを「もっともらしい」エライものにしてしまっては――という気持があるのかもしれぬ。……

(平野)
HP更新。 http://www.kaibundo.co.jp/index.html
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