週刊 奥の院 8.22

■ 思想の科学研究会 編『共同研究 転向 3 戦中篇 上』 『同 4 戦中篇 下』 平凡社 東洋文庫 
(3)3300円+税 (4)3200円+税
目次
第二篇 戦中
第一章 昭和十五年を中心とする転向の状況  藤田省三 
第二章 自由主義者
  第一節 翼賛運動の設計者――近衛文麿  鶴見俊輔
  第二節 創立期の翼賛運動――有馬頼寧  安田武
  第三節 翼賛運動の学問論――杉靖三郎・清水幾太郎・大熊信行  鶴見
  第四節 生産力理論――大河内一男・風早八十二  高畠通敏 
  第五節 誠実主義と文学――山本有三  安田
以下(4)
  第六節 総力戦理論の哲学――田辺元・柳田謙十郎  後藤宏行
  第七節 キリスト教の人びと――プロテスタントを中心にして  横山貞子
  第八節 労農派と人民戦線――山川均をめぐって  判沢弘
第三章 急進主義者
  第一節 アナキスト――岩佐作太郎・萩原恭次郎  秋山清
  第二節 労働者作家――橋本英吉・山田清三郎・徳永直  判沢
  第三節 偽装転向について――神山茂夫  しまね・きよし
解説2 『共同研究 転向』の刊行とその反響  成田龍一

 1931年の満州事変以来、侵略政策成功に国民は軍部支持の感情をもった。37年盧溝橋事件、戦争の主導権は軍部。転向の型もちがってくる。
 同年9月国民精神総動員運動、「興亜奉公日」、パーマネント廃止、モンペ奨励、日の丸弁当など、政府の強制力は「大衆の風俗をかえることをとおして、底のほうから思想にたいしてはたらきかけてゆく形」をとる。
 38年7月国家総動員法。40年10月大政翼賛会発足、隣組、中央協力会議など国民再組織推進。
 

 このような形ですすめられた全体主義化にたいして、自由主義者は集団としてはすでに死滅していた。一九三〇年代が急進主義者の転向を中心とするのにたいして一九四〇年前後は自由主義者の転向を中心とする。かれらの転向は、前の時代にくらべて、集団的、なしくずし的、無自覚的であり、同時代の大衆の転向にインテリとしての歩度をあわせようとする努力を示す。
 一九四一年十二月八日、米国ハワイの真珠湾を空襲することによってはじまった大東亜戦争は、はじまりの一撃の成功によって国民全体をわきたたせ、この国民的気分のたかまりの中に、それまでなおも全体主義化に納得していなかった一部指導者、知識人をとかしてしまう。
 こうして大局的に見るならば、すでに一九三〇年代以来獄中につながれている非転向の共産主義者および宗教的平和主義者をのぞいて、日本人全体が総力戦協力のうずにまきこまれていった。しかし、全体がまきこまれてゆくというその過程において、全体を構成する一人一人の内部には戦争政策をうたがい、これを批判する部分的人間の視点が残された。このために、翼賛時代は、国民的規模における、なしくずし集団転向の時代であるとともに、各人各様の生活歴にふさわしい独自の偽装転向の形態をうみだす。……鶴見俊輔

(平野)