週刊 奥の院 8.2

■ 内田樹 『ぼくの住まい論』 新潮社 1400円+税  
「凱風館」施主の家作り体験記。
1 土地を買う 「道場が欲しい」 多細胞生物的宴会 母港としての学校
2 間取りを決める 辺境人は「蔵」が好き 誰もいない道場の贅沢 書棚が語るもの
3 材木を得る 京都・美山篇 「哲学する木こり」
4 材木を得る 岐阜・加子母(かしも)篇 リアルな身体
5 職人に出会う 国民的義務
6 能舞台をつくる 身体に「触れてくる」絵画
7 凱風館に住む 浄化される空間 朝稽古の効用
8 ぼくの住まい論

 豪邸ではなく、「道場が欲しい」と念じ続けてきた。個人の家は「生涯賃貸」と決めていた。

 でも、道場は違います。道場は私物ではなく、そこを修業の場とする門人たちのものですから。いや、「門人たちのもの」というのも正確ではありません。むしろ、彼らの「めざすもの」のためのものです。武道の場合には「道を究める」という達成不可能な目標があります。でも、その手の届かない目標めざして現に生き生きと活用されていない道場はただの「箱」に過ぎません。
そういうものだからこそ、この手でつくりたい。……

(前に紹介)設計者光嶋の言う「みんなの家」。
「道場が欲しい」と念じ、人に話しているうちに、まとまったお金が集まってきたそうだ。家族・友人・知人から、お金だけではなく、いろいろな支援があった。冷蔵庫とか丸太とか食器……。宴会のため自分用に、というのもあるらしい。
 

 でも、ぼくはそういうのがいいと思うんです。これはほんとうに「みんなの家」なんですから。みんなが使う家をつくろうと思ったから、はじめて建つ可能性が出てきた家なんです。……「みんなのための建物」をつくろうと思ったら、どこからともなく資金も知恵も集まってきた。
 経済というのは本質的にそういうものだと思うんです。貨幣でも情報でも、入ってきたものは自分ひとりで抱え込まずに、次に「パス」しなければならない。抱え込んで滞留してしまうと、そこで流れが止まる。流れが止まるところには、貨幣も情報も、人も知恵も、もう何も来なくなる。……道場というのはぼくが次世代に向って送り出す「パス」なんです。

 土地・建物、ゆくゆくは法人化される。
「凱風館」の由来を施主から。
 

出典は「詩経」の「凱風南より彼の棘心(きょくしん)を吹く」から採りました。「初夏のそよかぜは南から吹いて、あの堅い棘(いばら)の若芽を育む」という文意です。「凱風」は南から吹くやわらかい風のことですが、転義して「かたくなな心を開くもの」を意味します。学びの場の名としてふさわしいものだと思って選びました。

『波』8月号で、施主と「哲学する木こり」小林さん対談。林業は80年後の木を考えている。70代の木こりは、孫どころかその孫の時代を考えている。

(平野)
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(写真 F店長)