週刊 奥の院 7.30

■ 畑中章宏 『災害と妖怪  柳田国男と歩く日本の天変地異』 亜紀書房 2000円+税
(帯) 河童や天狗は、私たちのうしろめたさの影なのか? 
1 河童は死と深く結びつくものであるという事
2 天狗が悪魔を祓うといまも信じられている事
3 洪水は恐るべきものでありすべての始まりでもある事
4 鯰や狼が江戸の世にもてはやされたという事
5 一つ目の巨人が跋扈し鹿や馬が生贄にされた事
 著者の本は以前、『柳田国男今和次郎 災害に向き合う民俗学』(平凡社新書)を紹介した。
「はじめに」より。
 柳田が明治42年(1909)8月初めて遠野を訪れた時、早朝花巻駅に着き、人力車で遠野に到着したのは夜8時だった。今は道路網が整備され、東日本大震災後の後方支援拠点として大きな役割を果たしている。
 著者は昨年8月の「河北新報」記事から紹介する。
 震災発生から14分後、午後3時には遠野運動公園が開放され、照明設備・発電機設置など自衛隊受け入れ準備が始まった。公共団体・ボランティア団体など250以上を開放された公共施設と民間宿泊施設で受け入れることができた。市長は、「遠野は藩制時代から人とモノ、内陸と沿岸の交流拠点だった。地盤も安定し、活断層もない。津波もない……津波が来ないからこそ、遠野の果たす役割がある」と述べている。
 記事にはないが、『遠野物語』で知られる観光地で、宿泊施設が充実していたから多くの支援者を受け入れることが可能だった、と。
 本年3月11日「毎日新聞」に『遠野物語』99話に関する記事を見つける。明治29年三陸津波で、遠野出身の北川福二は妻子を亡くす。残された子どもたちと小屋を建てて住んでいた。ある夜、浜辺で妻の幽霊に遭遇する話。福二の子孫が今回も津波で被害、母親が行方不明。その母親が「本を買え、遠野物語にうちの話がある。先祖のことだから、しっかり覚えておけ」と教えてくれた。
「膝が悪かった母は裏山への階段を上りきれずに流されたという。がれきだらけの自宅跡に座り込んだ。百余年前の先祖の姿が自分と重なった」
 さらに、別の新聞では、「お化けや幽霊が見える」という感覚に多くの被災者が悩んでいる記事がある。死に直面した被災者にとって、幽霊は「心の傷の表れ」と見られる。行政では対応できない。宗教界は宗派を超えて取り組んでいる。
 柳田が収集したように、災害の記憶は妖怪たちに託されて受け継がれてきた。遠野だけではなく柳田の足跡をたどり各地の妖怪を取材して、「災害伝承」を拾い集める。「できるだけきまじめに」に考える。



■ 川村易(おさむ)+OSAmoon 『身近な妖怪ハンドブック』 文一総合出版 1200円+税
 観察図鑑シリーズ。 
 

 妖怪を「理科系の目」で分類、編集、構成したものです。民俗学の研究分野であった妖怪を一般生物と同じ生きものとして扱いました。……
 本書は、妖怪の姿と特徴が載っており、底知れない妖怪の世界への入門書になります。さらに妖怪にであったときの対処法も書いてあるので、遭遇にも落ち着いて対応できるでしょう。……

 妖怪の分類、和名、学名、分布・生息地、見られる時期、形態・特徴など。
 例えば「河童」。

 かっぱ。水辺に棲む淡水妖怪[国有種] 水神河童目 類人スッポン科 
(分布) 日本各地の河川・沼。日本近海。
(見られる時期) 春から夏。冬は山童(やまわらわ)に変容。カッパ淵(岩手県遠野市)では、年間通じて見られる。
(特徴) 体長は幼児程度で、全身は緑色、または赤色のうろこに覆われている。頭頂部にある皿状のくぼみの水がこぼれると生命力が衰える。……

 ひとくち怪談、図、現代の人形やポスターなども。さすがに[学名]はない。
 「グラフィック検索」は独自のもの。分類によって、「目」――水神河童目、ネコ目、ネズミ目、サル目、ラップ目など――がわかりやすく、「変容」するモノや「混同」されるモノを関連づける。「座敷童子」は[サル目 裕福ヒト科]、「一つ目小僧」は[小僧目 メカゴサル科]。
 マジメなんだかフマジメなんだか? マジメなんです。
 著者はイラストレーター、著書多数。



(平野)
○ ヨソサマのイベント
● 『中世・近世の芦屋  伊勢物語への憧憬と絢爛な文化』 『近代の芦屋  芦屋モダニズム文化』 同時開催
  8.4〜9.23 芦屋市立美術館 月曜休館 観覧料:一般300円 大学・高校200円 中学生以下無料

http://ashiya-museum.jp/