週刊 奥の院 7.1

■ 『一葉のポルトレ』 みすず書房 大人の本棚 2400円+税  小池昌代 解説

(帯) 
拗ね者、頑張り屋、寂しがり。
明治の青春を駆け抜けた、なっちゃんこと樋口一葉
素顔を知る家族・友人等が語る「肖像(ポルトレ)」、
薄田泣菫、馬場弧蝶、幸田露伴他の16篇。

 戸川秋骨半井桃水島崎藤村、田辺夏子、樋口くに……。一葉の同時代人たちが書く思い出。

 薄田泣菫 「たけくらべ」の作者
 偶然、身近で見て……。今ならアイドルとすれ違った気分でしょうか?
 梅の花が咲く季節、図書館で目録を繰っていると、

……ふと女の髪のなまめいた容子(けはい)がするので、私はそっと振りかえると、齢は二十四、五でもあろうか、小作りな色の白い婦人が、繊弱(きゃしゃ)な指先で私と同じように忙しそうに目録を繰りながら、側に立った妹らしい人と低声で何かひそひそと語り合っていた。
 見ると引き締まった勝気な顔の調子が、何かの雑誌の挿画でみた一葉女史の姿そっくりであった。もしやあの秀でた「たけくらべ」の作者ではあるまいかと思って、それとなく見ていると、その人はやっと目録を繰り当てたかして、手帳に何か認めようとして、ひょいと目録台に屈んだかと思うと、どうした機会(はずみ)か羽織の袖口を今口金を脱したばかりの墨汁(インキ)壷にひっかけた……

 インキがこぼれて、周囲の人たちは一斉に彼女を見る。一葉は袂に手を入れ、真っ白な手巾(ハンカチ)を出して、すばやく拭き取った。
 泣菫は、彼女の口元のきっとした、眼つきの拗ねた顔が印象に残った。
 その日の午後、また出会う。妹に先ほどのインクを拭いたハンカチで鼻緒をすげかえてもらっていた。
 

 ほんのそれ限(ぎり)で、何のことはないものの、しかし私にはその折りの皮肉な眼つきときっとした口元とが、ちょうどあの人の有(も)って生れた才分の秘密にたどり入る緒(いとぐち)のように思われて、「濁り江」を見るにつけ、「十三夜」を見るにつけ、また「たけくらべ」を読むにつけて、あの眼から、あの口元から閃いて見えるその人柄の追憶(おもいで)が、どうかすると女流作家と男性の私との間に横たわりがちな一重の隔たりを取り除け得るような気持ちがする。……思いなしかは知らないが、あの眼つきにはわれとわが心を食みつくさねば止まない才の執念(しゅうね)さが仄めいていた。

 小池昌代

……筆名は高まった。けれどさて、その作品が、今も広く読まれてているかどうかとなると、少し寂しい思いがする。雅俗折衷体とか擬古文とかいわれるそれは、現代人にはひどく読みにくい。ならば現代語訳を、と思ったところで、今の言葉に均してしまえば、意味は通るが「流れ」は失われる。
 私が一葉に心底惹かれていったのは、作品を音読するようになってからのことだ。それまではまさに「流れ」を分断するようなやり方、本文と註とを行き来しながら、意味をつかむのに必死という読み方をしていた。
(朗読CDを聴いて)眼というより耳が開いた。以来、自分でも声に出して読むようになった。意味がわからなくとも、ずんずんいく。一葉の、言葉の着物を、その帯を、帯締めを、体にまとうがごとく、身につけていくのだ。すると、わたしが一葉になった。一葉になるなどというのは不遜な言いかただが、口に出して、一葉の言葉を「読む」とは、まさにそのような経験だった。……

(平野)