週刊 奥の院 6.27

■ 佐伯泰英 『惜櫟荘(せきれきそう)だより』 岩波書店 1500円+税 
 時代小説で当代一の売れっ子。「月刊佐伯」といわれるほど、文庫書き下ろし作品を書き続けている。2008年、縁あって、岩波書店創業者・茂雄の別荘――吉田五十八の名建築を譲り受けることになった。
 佐伯が熱海の別荘地に仕事場を構えたのは03年秋。共用の石段があり、一段下が「惜櫟荘」。

 わが仕事場の敷地より海側に一段下った惜櫟荘は、山桃や柿など木々に遮られて屋根がちらりと見えるばかりで、建物の全容は知れなかった。七十年余の松籟を聞いてきた屋根は軽い弧を描いて、艶を漂わせて官能的であった。
(見てみたい)……

 庭師の親方に頼んで庭に入らせてもらう。
 

 まず海が目に入った。
「ええっ」
と娘が絶句した。わずかに距離が離れただけで海の風景が違っていた。松の枝越しに見える相模灘、その真ん中に初島が浮かんでいた。視界を転じたら別の海が待っていた。真鶴半島の突端の三ツ石に白く波が洗う景色だった。……
 惜櫟荘の名の由来となった老櫟は、支え木に助けられて地上二メートルのところから直角に角度を変えて横に幹を伸ばしていた。昔の写真で見るより幹は痩せ細っていた。筋肉を失い骨と皮だけの媼(おうな)の風情、平ったい幹の所々にうろを生じさせていた。植木屋の親方が、
「隣にあるのが二代目の櫟」
と教えてくれた。初代が枯れることを想定して二代目が用意されたらしい。
 だが、私の目にはすくすくと育つ二代目より腰の曲がった初代櫟がなんとも好ましく、したたかに映った。……

 庭を見せてもらったときのことを、こうも書いている。
 

 その瞬間、日本建築に造詣もない私が、この古びた家の意味と環境を直感的に理解した。惜櫟荘に関わりを持った尾崎行雄幸田露伴志賀直哉をはじめとする政治家文人学者たちの溜め息や呼吸が壁や柱に染み付いて、私に何かを喚起させたのだろう。

 惜櫟荘を岩波が手放すことになる。佐伯は、先の展開を恐れる。開発業者の手に渡れば……。
 自分が建物と景観を守る・残す番人になる決意をする。「文庫書き下ろし作家」が借金をして守る。
『図書』連載。
(帯)私の初のエッセイ集は、
文庫が建て、文庫が守った
惜櫟荘が主人公の物語です。
         佐伯泰英
 

 設計図も残っていない。パズルを解くような解体・修復工事。名建築家の仕掛け、茂雄のこだわり。建物が結ぶ縁……、若き日のスペイン滞在時代の思い出を交えて、修復完成までを綴る。愛犬の話も。
 サイン本が届いています。僅少ゆえ、お早めに。
(平野)