週刊 奥の院 6.18
■ 高橋一清(かずきよ) 『作家魂に触れた』 青志社 1600円+税
1944年島根県益田市生まれ。67年から文藝春秋編集者。05年退職。現在は松江市の観光文化プロデューサー。
担当者として接した作家たちの素顔、作品誕生秘話を、「飾りや偽りのない文章」で書く。「自分に忠実に記すことは、読者への誠実」と。
水上勉
数々のエピソードから、高橋の出身地に関わるものだけ紹介。
入社してすぐ、ホテルで執筆中の水上の原稿を受け取りに行く。
「そこに坐って待っててや」
垂れ下がった長い髪、その下のスタンドの光が照らす形のいい水上さんの鼻梁をみつめた。いい貌だと思った。これが水上さんの第一印象であった。……
「高橋君の在所はどこかね」
私は、石見の益田、と答えた。
「そうかあ。石見には書きたいもんがあってなあ」
……
念仏者の名を挙げた。高橋も「下駄職人に仏様のような人がいた」と聞いていた。その作品を私に、と口に出せなかった。水上は、年に一度石見の温泉津(ゆのつ)に逗留して、20年かけて書き上げた。別の雑誌に発表された。
水上の年に一度の石見行きには別の理由があった。益田の西方に足を伸ばしていた。
「あそこの出で親しゆうなった女子(おなご)がいてな」
「そういう、いきさつがあった女性たちを、短篇連作で……」
この時は迫ったが、「そのうち」と、実現しなかった。
水上は小林秀雄と沖縄講演旅行がきっかけで親しくなり、越年ゴルフをするほど。ある講演旅行のこと、小林に小説・文章について手をぬいていると叱られた。益田での出来事。小林が亡くなったときに高橋が追悼文を依頼、「叱られた益田の夜」のことを入れてほしいと注文した。高橋から見て、「益田の夜」を境に水上は変った。
私のふるさとは、新しい作家生活の始まりの場所となった。水上さんと私は、「在所」の縁で結ばれた、作家と編集者であった。
と言うような話が、平野謙、庄野潤三、舟橋聖一、立松和平、井上ひさし、有元利夫、森敦、尾崎一雄、寺久保友哉、大庭みな子について語られる。
遅筆・井上ひさしとのやり取りは圧巻。井上の原稿遅れ詫び状を全部公開。
井上のお別れの会で、遺影と遺作を見ながら、
背表紙の作品を見て、十数メートル歩んだ。作品名が次々と目に飛び込む。そして、高速回転で、脳裏に作品に描かれていた情景が浮かんだ。私の担当した作品の前では足がとまった。
「先生とてもよかったですよ」
思わず口に出たつぶやきは、かつてと同じ言葉であった。私は誰よりも先にこれをいただいた。それを編集者の喜びと思っていた。
作家と編集者の熱く堅い関係なのだけれど、甘えのないプロ同士の切磋琢磨・丁々発止の戦い(時には楽しんでいる?)がある。
(平野)
みずのわ出版HPの「本屋漂流記」、久しぶりの更新です。写真がまだ。
http://www.mizunowa.com/soushin/honya.html#me-34