週刊 奥の院 6.11

■ 堀江敏幸 『燃焼のための習作』 講談社 1500円+税 
 装幀 帆足英里子
 著者、数々の文学賞受賞。このほど「伊藤整文学賞」も。本書の主人公は旧作に登場した人物。いつものように、すみません、読んでいません。
 その枕木は探偵らしい。丸顔・禿頭・メタボオヤジ。コーヒーにこだわりがあって、粉末のネスカフェ+クリープ+スプーン印の角砂糖の三種混合。ハードボイルドではなさそう、と読み始める
 依頼人・熊埜御堂(くまのみどう、以下熊)の依頼は、13年前に別れた妻子の消息。これまで手を尽くして探したし、プロの探偵にも依頼した。枕木は熊氏が妻子と別れた頃に偶然その声だけを聞いている。当時住んでいたアパートの近所の家が熊氏の息子と同級生で、その伝手を頼って伝言を頼んだ時にその家の夫人の美しい声とともに記憶していた。熊氏が枕木の元にやって来たのは、仕事でつながりのある人と枕木の伯母が親しいことから。枕木もその人に仕事を頼まれたことがある。熊氏は妻の母親に渡された息子の持ち物(小さなプレートのようなもの、暗号のような文字)を見せる。

……これを手がかりにしておふたりの居場所を探し出したい、もしくは連絡をとりたいということでしょうか、と尋ねた。しかし客人はすぐに首を縦に振らず、コンクリート剥き出しの壁をぼんやり眺めたり視線を落として両の掌を見たりしながら、たいへん失礼な言い方になってしまうのですが、じつのところ、先ほどからなにか頼みごとをしに来たという感じがしないのです、自分でもよくわからなくなってきてしまったんですよ、かつて妻と息子に会いたいと心の底から願ったのは事実ですし、いまでもたぶんそうでしょう、ただほんとうにそうであれば、もっと早く、ちがう動き方をしていたとも思うんです、どうか気を悪くなさらないでください、しかし、なにか曖昧な気持ちを曖昧なまま後押しするものがあって、こうしてやってきたわけなんです、まさか、ずっとむかしにあなたと交錯しているなんて想像もしませんでしたが、だからいっそう混乱してしまったのかもしれませんね、半生の一番の節目の頃、窓硝子を介してすれ違っていたわけですから。……

 それぞれの人物の会話が「」に入らず、改行されることもなく続いて発せられる。
 枕木の助手役・觶子(さとこ)がお使いから帰って来て加わるが、クリーニング店での出来事をエンエン、顔見知りのホームレスらしい男性のこと、熊氏も妻とクリーニング店とのトラブルの思い出を話す。觶子自身のこと、枕木が友人のタクシー運転手のこと、鳩の死骸始末のこと、熊氏も自分の話をして……、外は雷雨・暴風、その間、インスタントコーヒー(枕木はガブガブ)、お茶、水、それにスパゲティ、おにぎりが彼らのお腹に入る。熊氏は腸の具合が悪い体質。

 枕木さんて、やっぱ不思議な人だな、と觶子さんはあらためて思っていた。それから、この熊埜御堂さんという人も、わたしの話を聞いていてとくに面白がっているふうではないのに、要所要所でつついてきたりする、それでいて全体の流れを切らない。相談ごとがあって、つまりなにかを依頼しに来たはずなのに、そういう雰囲気でもない。どこか枕木さんに反応の仕方が似ている。……

 

 飲み屋のカウンターでもないのに、こんな会話のなにが自分を引き留めるのだろう、と熊埜御堂氏は胸のうちで不思議がっていた。地鳴りや地響きではなく嵐が静まるのを待っているだけで、こちらの境遇となんの関係もない話に耳を傾ける義務はどこにもないはずなのに。……

 觶子の枕木評。
 

……いっしょにいると、なんだか自分ばかりがしゃべっているような気がしてくる、話がどんなふうに転ぶのかなんて考えずに、丸顔で禿頭の、にこやかな頷きと肯定に従っているうちに、いつのまにかべつの風景が見えてくる、そういう人であることは疑いようがなかった。……

 そして、「ビスケット事件」と言われる依頼の顛末、さきのホームレス男性のこと。ついに觶子が熊氏に質問。

……今日、熊埜御堂さんという方がいらっしゃることは聞かされていました、でもわたしは途中参加なので、いろんな可能性を類推することしかできなかったんです、……いまに至るまではっきりしないのは、奥様とうまくいかなくなった理由なんです。觶子さんは熊埜御堂氏から目を逸らさずに笑みを浮かべている。…… 

 熊氏は理由をいろいろ上げるが、「それだけの理由か」と觶子は責める。熊氏は、妻が別れるときに口にした言葉と「わりあい」感謝されたことを話した。そこから觶子が整理をして、
「ほんとうは、おふたりの居場所も、その後のことも、ご存知なんじゃないですか?」 
 妻子のこと、私なりに推理してみた。当たらんだろうが、キーワードは「鳩」? 
 表題は、「ビスケット事件」に登場するオブジェの名、それは市販された「風見鶏(らしきもの)」キットの名でもある。言葉が燃焼する=真実を解き明かすと考えて、そのための「習作」を重ねていくという解釈でいいのでしょうか? 文学GFたち、教えておくれ。
(平野)