週刊 奥の院 6・2

■ 三木卓 『 K 』 講談社 1500円+税 
装丁:田中久子 絵:エドガー・ドガ「Slieeping Child」
 1935年生まれ、静岡県出身。幼少期を満州で過ごす。67年『東京午前三時』でH氏賞、73年「鶸」で芥川賞、他、平林たい子賞谷崎潤一郎賞読売文学賞など。児童文学でも活躍。 
 本書は、2007年に亡くなった夫人(三木は配偶者と書く)のこと。本名桂子。
 彼女のサインはk(○の中にk)、自分のことは〈マルK〉、三木のことは〈マルミ〉と呼んだ。

 この文章を書くにあたって、ぼくは死んだ妻のことを〈うちの母ちゃん〉とか〈女房〉と書く気にはならない。たしかに夫婦でありいっしょに暮したのだが、つまるところ、ぼくには、この人がよくわからなかった。共同生活者であったが、彼女はいつも僕を立ち入らせないところがあって、ぼくは困った。
 それでこの文中で彼女をどう呼ぼうか、迷った。


 Kは「福井桂子」名で7冊の詩集を出した。若き日、同じ雑誌の同人だった。1959年、ともに24歳。三木はだめもとでデートに誘った。ラブレターを出した。次のデートの日、彼女が家出(下宿から)をしてきた そのまま同棲して、結婚。Kの青森の実家から豪華な荷物が来た。貧しい青年の許にやって来た新妻は世間ズレしていないというか、裕福な商家のお嬢さんで小学校入学前まで里子に出されて育った。三木は満州引き揚げ者。
 彼が給料袋を手渡すと、Kは自分へのプレゼントだと思って高価な服を買ってしまう。Kは出版社に勤めていたが、お金は自分のために使う生活。あとは「次の給料日まで死んだみたいに生きている。それのくりかえし」と言う。遅刻する、長続きしない、喧嘩してやめる。三木が不機嫌でいると、小さな声で言う。
「そんなに怒らないでよ。わたしは窮鳥なんだから」
「なんだって?」
「ほら、窮鳥ふところに入れば猟師も殺さずっていうでしょう。ですから」
 Kが自分のところへ来たことの「心の道すじが、そのとき一瞬、くっきりと見えたような気がした」。しかし、異文化の夫婦だ。
 子どもができ、三木は勤めながらアルバイトもし、詩を書く。Kもまた詩を書き始める。
「一つ屋根の下に詩を書く人間が二人いる」
 三木がKの詩にアドバイスをした。30分ほどして、
 

ふと、異様なものを感じて顔をあげると、なんとそこに激怒の表情をもろにあらわにしているKがいて、ぼくをひた、とにらみつけているのだった。彼女は目が合うといった。
「何よ。あなた、詩のことなんか何もわかっていないくせに。あなたは骨のズイまで散文的にしか考えられないから、そんなことをいうんだわ。ここの言葉の飛躍こそが生命なのよ!」

 三木が小説を書くようになると、
「小説はあなたには無理です。やめときなさい」
 と宣告。しゃかりきになって書いていると、Kは下宿を探してきて、そこで書けと。以来、Kがガンを発症するまで約30年間別居状態を続けた。
 Kの入院・手術、三木も心臓手術をしている。
 05年、三木はKに詩集出版を勧める。

「へえ、あなたも、そういうこと、おっしゃるの。わたしが詩集を出すことを、あまりおもしろがっていなかったくせに。……まとまるかなあ……まとまるかもしれないわ」
「じゃ、すぐかかれよ、出版社はどこにする」
「書肆山田がいいんじゃない。あそこから、いちど出してみたかったし」
「善はいそげだ、早くかかろう」

三木は思いきって言う。

「これは、もしかしたらだよ、そうならないことをねがっているけれどね、あなたの最後の単独詩集になるかもしれない。そもそも、人はいつ死ぬかわからないしね、くどく書く必要などさらさらない。ただ生い立ちと生い立ちのときのまわりの世界と自分の関係を、自分の言葉で端的にあとがきに書いてほしい。それがあると、みんな、きみのすべての詩をわかることが出来、誤解や混迷の中に捨てることにはならないはずだ。きみが、たったひとつの思いを、ずっと書いて来たことがわかるはずだ」

Kも事態を認識。

 養家と本家のあいだをいったりきたりした昭和十年代の北東北のことを、「このふたつの家を往還するとき、幼児の私は、三歳ごろに、この世界の存在のなんともいえない淋しさに気づいたのでした。大人と子どもの感受性は、変わりがないのです。のちに、これほど長く詩を書いてきたのは、その存在の淋しさをうずめるためであったのかと思いをめぐらしたりします。」(あとがき)と書いてくれた。ときに生活の中で口を突いて出て来ていた彼女のことばを借りれば、〈よるべのない〉ともいうべきそのさびしさのなかを、たった一人で放浪していく、という、だれによってもいやされることのない人間だった、だれでも本当はそうなのかもしれないが、Kは一生その意識を抱きしめるようにして生きた人間だった、と今は思っている。

 詩集『風攫(さら)いと月』。Kは一篇を指さして、「これはお礼です」と言った。 
「夏草に蓋われた引込み線:夕星(ゆうずつ)」 http://www.longtail.co.jp/~shoshi-y/cgi-bin/bookinfo.cgi?id=200511659&ids=27977&sort_op=1&sold_op=1&search_auth=福井桂子&series=0&disp_op=2
〈遠くで 涙をふきこぼしている男がいる〉で、始まり、終わる。
自分のために泣いている男がいる、と。そのあと男の兄の死を悼む。Kの感謝の気持ち。
その詩を読みながら、またKの詩に「忠告」をしている男がいる。
「わかっても、わかってなんかやらないぞ」  
(平野)
 【海】HP更新。 http://www.kaibundo.co.jp/index.html