週刊 奥の院 6.1
■ 河原宏 『秋の思想 かかる男の児ありき』 幻戯書房 3000円+税
1928年東京生まれ、早稲田大学名誉教授、日本政治思想史。本年2月28日逝去。
「序 かかる男の児ありき」より。
伊勢物語の書き出し「むかし、をとこありけり」に似た副題。その意図と中味は違う。恋物語ではない。
ここにとりあげた人々は、いずれも男子一生の仕事と「志」に生涯を懸けた人物である。……
私はこのような人物を単に「人」としてあらわす。偉人伝でもなく英雄談でもない。ただ普通の人が「人」となる条件としては、豊かな「情」を備えた優しさと、世の変遷を耐え抜く強靭な「志」を保持していることだけである。「情」と「志」に生きかつ死ぬ、そのような人を現すのに余計な形容詞はいらない。いちばん簡単にはカッコで括っただけの「人」といえば十分である。
それが「ありき」と過去形になっているのは、現代にはおよそ在りえない人たちの像を描いたからである。……
目次
1 中世武将の情と義 その1 源実朝――その優しさと勁さ その2 楠木正行――その「情」と「義」
2 江戸の芸術家 その1 近松門左衛門――その勇気と自覚 その2 伊藤若冲――あらゆる生き物、命の美を描く
3 江戸の秋 維新の哀歓 その1 小林清親――追憶と哀愁の浮世絵 その2 栗本鋤雲から『夜明け前』へ その3 成島柳北の『柳橋新誌』
4 戦後文学の輪廻転生観 その1 三島由紀夫の輪廻転生観 その2 深沢七郎の輪廻転生観 その3 遠藤周作の輪廻転生観
結び
特別附録 イデオロギーとしての転向
書名の「秋」。目次では、「江戸の秋〜」しか見あたらない。
……彼らはいずれも明治維新後は佐幕派知識人として、それぞれ絵画・詩文に累代の主家滅亡の悲哀を抱きながら人の心を打つ作品を残している。
……ここにいう「秋」とはもちろん季節のことではない。歴史家ヨハン・ホイジンガは中世と近世の境界、十四〜十五世紀のルネッサンスを近代の春ではなく中世の秋として『中世の秋』(1919年)と題する一書を著した。この題名は、通説に引きずられない陰影に富むその所説の独自性を示している。「江戸の秋」も歴史観としてこれに倣ったものである。
この意味で清親・鋤雲・柳北幕臣三名の生涯と事跡は、今でこそ近代主義の常識から嫌われるかもしれないが、敗者の美学として見事という感慨を抑えることができない。……
(4)を執筆中に東日本大震災が起きた。技術文明が発達しても人間社会には不安が無数にある。次々と出てくる。病気・災害・貧困・倒産・失業……、なにより根本的な生と死。大災害と原発事故によって、想定できるはずの文明が想定外の事態に対処できないこことが明らかになった。
私たちは、「近代合理主義の秋」を生きているのではないか?
(平野)