週刊 奥の院 5.6

■ 久世光彦 文  北川健次 美術 
『死のある風景  Last  Edition』 新人物往来社
 3000円+税
週刊新潮』連載(1997〜2001年)「死のある風景」をまとめた著作3冊から、夫人がセレクト。美術家・北川健次の作品が飾る。
 向田邦子との〈爆弾三勇士〉の会話から言葉遊びに。三人のうちの一人の名が思い浮かばないうちに、向田が〈〜死〉という言葉を原稿用紙に悪戯書き。二人で思いつくまま挙げる。すぐに三十ほどの〈〜死〉が並ぶ。

……「どうしてこんなにたくさんあるんだろう」。向田さんが溜息ついた。ほんとうにそうだ。……いくらだってある。そして私たちは、どちらともなく、黙った。
 しかし考えてみれば、小さなことを気に病んだり、ご飯を食べる箸を止めてぼんやりしたり、焦ったり苛立ったりした人生も、納まりがついてしまえば、たった三十ばかりの言葉に分類されておしまいである。少なくとも〈〜死〉とおなじ数だけの〈〜生〉がなければおかしいのに、そんな熟語を、私たちは一つも思い出すことができなかった。……
(「三勇士」の一人は? 夜明けに向田から電話)
「わかったわよ、江下よ、江下」。きっとあのままでは、寂しくて寝つかれなかったのだろう。向田さんの声は明るかった。

 久世は06年自宅で亡くなる。
「冬が過ぎようとしての、終わりの寒さがたゆたう三月初めの夜明けであった」(夫人・朋子)。ご飯を喉に詰まらせてしまった。
 

 この白いご飯かと指で掻き出そうとしたら、ほろりとひとかけらが落ちたきりで、口の中にはもうなにもない。久世の唇がかすかに動いて、その歯が私の指を噛んだ。そうしてひゅうと木枯らしのような息を吐いて、それがお仕舞いだった。
 春寒の、うす水色の三月の空がひろがっていた。……

(平野)
 義父を見送る。享年91歳。