週刊 奥の院 5・3

■ 池内紀 『恩地孝四郎  一つの伝記』 幻戯書房 5800円+税 
 恩地孝四郎【1891(明治24)〜1955(昭和30)年】 東京生まれ、画家・版画家・装幀家・詩人で音楽家でもあった。
(あとがき)より。

……二十代はじめに油彩から版画に転じた。大正から昭和初期の創作版画運動のなかで、もっとも大胆に表現と技法の試みをした。音楽を造形にとりこみカンディンスキーとほぼ同じころに抽象画を描いていた。
 不思議な感性の人なのだ。抽象画にかぎらず、写真の応用、写真と文章の組み合わせ、フォトグラム、コラージュ、フロッタージュ、箱の絵……
モダニズムの試みのすべてをいち早くひとりでやってのけて、しかも実験くささがなく、清潔で、繊細で、完成されていた。軍国主義と戦争というひどい時代に、なんともシャレた『博物志』をつくったし、装幀という新しい美の分野を開拓するとともに、まさにその表現技法でもって優雅に暮らすすべをこころえていた。
 そんな人物がどのようにして生まれたのか。はやばやと流行をとりこみ、流行をこえたところで作品化できたのはどうしてか。評論を書き、それ以上に詩を書き、芸術のまま子のようにみなされていた版画の世界の気の好い世話役をつとめたりもした。戦中・戦後の荒ぶれた時代にあって、この感性の人を成り立たせていたものは何だったのか。手さぐり状態から一気に尖鋭な作品へと飛躍させるプロセスがあったはずだが、それはどのような過程のなかで実現したのだろう?

 序章 「自分の死貌」
第1章 夢二学校 版画の青春 他
第2章 装本家の誕生 他
第3章 光の造形 他
第4章 『博物志』の周辺 他

 年譜にある交遊人物、装幀・挿絵を担当した作家たち。竹久夢二萩原朔太郎室生犀星北原白秋山田耕筰川上澄生北園克衛太宰治……。
『ちくま』連載(1996〜98)「恩地孝四郎のこと」を基に大幅に書き下ろしを加えた。
 版元社主、故・辺見じゅんは、古書市で「恩地」の本を見つけては著者にプレゼントしたそうだ。同社10周年記念本の1冊。
 カバーを広げると、「自分の死貌」(1954年)と「赤について」(1948年)が表裏に出現する。
装幀:緒方修一
(平野)