週刊 奥の院 4.2

■ 澁澤龍子 『澁澤龍彦との旅』 白水社 2000円+税 
 先日の『作家の旅』(平凡社)」にも「澁澤龍彦」の文章はあったのだが、あえて紹介しなかったのは、この本があったから……か?
 亡くなってこの8月で25年になる。
 

 澁澤龍彦と過ごした十八年間、わたしたちは数え切れないほど旅をしました。結婚前に稲垣足穂さんをお訪ねした、はじめての京都旅行から、一大決心で言ったヨーロッパ、車でまわった東北地方、おいしいものを食べに歩いた新潟、瀬戸内海、そして最後となってしまった山口への旅……なんとたくさんの土地を、ふたりで訪れたことでしょう。

 最後の旅は亡くなる1年前、京都から安芸の宮島、山口。
 

 出発は四月七日の昼過ぎ。澁澤は一日が二十四時間という感覚のない人でしたから、旅行だからといってちゃんと早起きするようなことはありません。それどころか、起きるのが面倒くさくなって、「なんでわざわざ起きなきゃならないの」と大不機嫌になったり、私の着ている服が気に入らないなどと難クセをつけたり、出かけるまでがひと苦労なのです。でも、電車に乗せてしまえばすぐ機嫌がよくなるのですから、おかしな人です。

 なぜ山口だったのか?
 いわゆる観光ルートではない。澁澤は室町時代大内氏のことを書きたかったよう。

……この町がもっぱら大内文化の花咲いた古都として、中世から近世へかけて大いに栄えたということを聞かされていたからである。大内氏そのものの興亡盛衰にも、私には興味があった。……山口という町はむろん港町ではないが、大内氏帰化人の家系を誇りとし、つねに海外へ目を向けていたためか、ここには外国へ出入りする多くの文化人が一時的に滞在している。五山の詩僧策彦周良、画僧雪舟、それにフランシスコ・ザビエルの名をあげておけば十分であろう。山口は山にかこまれた盆地だが、私には港町のイメージがちらほらして仕方がないのである。そういう幻の古都として、私は山口の町に遠くから思いを寄せていたのだった。

 喉の痛みをかかえての旅だった。
 夫人は今も、
「永遠に読むことのできない物語を想像してしまうのです」
 と。
 奇譚の旅、物語を探す旅、幻の旅など。
 装幀 菊地信義
(平野) 【海】HP更新。
 http://www.kaibundo.co.jp/index.html