週刊 奥の院 3.22

■ 吉本隆明 石川九楊 『書 文字 アジア』 筑摩書房 2300円+税 
 1992年、全3回12時間の対談。
第1章 書の美はどこからくるのか
第2章 アジア的段階以前をどうとらえるのか
第3章 日本的なるものをどこで見るのか
 

(石川)……実作者であるというのは書を書いているときには、自分が歴史的にどんなところにいるのか、書の歴史上のどの辺を引き受けて、またどの辺を切り捨てているのか――言葉でいえば修辞法といえるのかもわかりませんが――こうやればこうなるんだというところがいちおう見えるところで書いているんだという実感があります。
……書字すなわち字を書くということは〈筆蝕(「蝕」旧字)〉することであるということ。書の美というのは筆蝕の美、言葉の〈スタイル〉なんだ。それは〈書体〉という言葉で呼んでいいんじゃないか。……
(吉本)……ぼくらは毛筆で字を書くという実体験がないから、実際に書いた人でないと〈筆蝕〉の概念というような考え方というのは持ってこれないなとびっくりしたわけですよね。
……『筆蝕の構造』(筑摩)には、書くということは〈触れる〉ということと〈刻む〉ということふたつなんだという論旨がまずあると思うんですよね。文字というものにはあまり意味がないのであって、要するに言葉に意味がある。言葉を書くということに、〈触れる〉ことと〈侵す〉ことそして〈刻む〉ことが入ってくるんだという論旨に、ある意味でびっくりしたわけです。こういうふうにやっちゃうと書を文学として読むことができるのではないか。〈書体〉というのは文学で言えば〈文体〉と同じである。文学で言う〈文体〉と同じふうな取り扱いをして、非常に微細な読み方をすれば、書自体が文学として読めるし、〈物語〉として読める。……

 奇しくも吉本さん逝去の16日当店に入荷。
(平野)