週刊 奥の院 3.15

■ 石牟礼道子 藤原新也 『なみだふるはな』 河出書房新社 1900円+税
「ふたつの歴史にかかる橋」 藤原新也   

一九五〇年代を発端とするミナマタ。 

そして二〇一一年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は六十年の時を経ていま、共震している。
非人道的な企業管理と運営のはての破局
その結果、長年に渡って危機にさらされる普通の人々の生活と命。
まるで互いが申し合わせるかのように情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。
そして、罪なき動物たちの犠牲。
やがて、母なる海の汚染。

「花を奉る」 石牟礼道子

春風萌(きざ)すといえども われら人類の劫塵
いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏し
まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘(いざな)わるるにや
虚空はるかに 一連の花 まさに咲(ひら)かんとするを聴く
……
かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日の魂に奉らんとす
花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて 咲きいずるなり
花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
声に出(いだ)せぬ胸底の想いあり
……


 藤原は2011年6月13日から15日、熊本の石牟礼宅を訪ねた。

藤  震災があって一週間後に被災地に入ったんですね。いまはもう三カ月経って、先日も行きましたが、最初に行ったときとは空気がまったくちがいます。直後というのは……
石  臭いがある?
藤  臭いも当然ありますけれども、空気に恐怖感がまだ残っているんですね。津波が来たときに、ものすごい恐怖感が渦巻いたでしょう。人間の叫びだとか。そういうものがまだ残っているんですよね、空気の中に。それがわかるんです。その空気に充満していた恐怖の気のようなものがいまはありません。
……
石  ……国がわざわざつくった水俣病に対する特別措置法というのは、大雑把にいえば、裁判からも下ります、認定申請も取り下げます、そして和解をします、と。和解というのは本来、何か平等の立場があってのことなのに。
「あんたたちは誰も病んけん、代わって俺たちが病んでいるんだ」という気持になられるのです。
藤  その「病む」を「追われる」といいかえると、水俣と福島はつながりますね。

 石牟礼は『苦海浄土』第4部を構想。
 藤原は石牟礼を「社会派作家ではなく、詩人だった」と語る。そして「長年のうちに培われた諦観と熟成と、なによりいかなる過酷な状況の中でも見失わない希望」を見た、と。
(平野)