週刊 奥の院 3.14

■ 坪内祐三 『父(おとこ)系図  近代日本の異色の父子像』 廣済堂出版 2000円+税
 同社のWebページ連載。 
 登場する父子は、淡島椿岳・寒月、内田魯庵・巖、杉山茂丸夢野久作、大田黒重五郎・元雄、齋藤秀三郎・秀雄、九鬼隆一・周造、辰野金吾・隆、伊庭想太郎・孝、結城無二三・禮一郎、岸田吟香・劉生、岡本真恷・癖三酔、そして著者が深い交わりを持った信木三郎・晴雄――こちらは同時代の人。
 私が父子とも名だけでも知るのは4組、どちらかひとりでは2組のみ。誰やねん? という印象。「異色」とあるから、父子ともその筋では著名人なのでしょう。親の仕事・業績を引き継いだのではない、強烈な個性の人たち。 
 著者は資料を集めてこの父子たちを説明してくれる。一組目だけ紹介。
 淡島椿岳(1823−89)・寒月(1859−1926)。
 両人とも「趣味家」という肩書き。
 父は川越の豪農の三男、旧姓小林。日本橋の名物、軽焼屋(カルメ焼きをウエハース状にした菓子)淡島に婿入り。日本画を学び、椿岳を名乗る。ものの本には掲載されている人物。先代が繁盛させた店だったが、彼は維新後40代で人に譲り、浅草に移る。その浅草を興行や見世物の中心にした「開祖」と言われる。
 日本画の他、洋画も学び、泥画(どろえ、絵具に墨や煉瓦やガラスの粉を混ぜた)を楽しんだ。画を学んだのは絵を売るためではない。
 子・寒月は洋行をめざし、そのためには日本文化の勉強が必要と、帝国図書館に通う。そこで、当時忘れられていた作家「西鶴」を発見し評価する。それを親友・露伴に伝え、さらに紅葉にも伝わる。
「つまり日本近代文学発祥の影の貢献者」
「あくまで趣味家だった」
 友人が彼の趣味を時代順に記している。
「西洋文明思想、西鶴、禅学、古美術、考古学、キリスト教、進化論的唯物論社会主義、埴輪・泥人形、埃及(エジプト)趣味、日本及び西洋玩具コレクション、絵、能、謡曲」など。
 書斎には若者たちが集まった。會津八一石川淳もいた。

 カバーの「父」の字のハネは、ヒゲか? 威厳ある「父」の姿? 変な「父」?
 超ユニークな人たちのことをじっくり読んでいただきたい。私はいつものように、ちゃっちゃちゃー、ですけど。
(平野)