週刊 奥の院 3.12

■ 大澤真幸 『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』 岩波新書 820円+税 
序 夢よりも深い覚醒へ
1 倫理の不安――9・11と3・11の教訓
2 原子力という神
3 未来の他者はどこにいる? ここに!
4 神の国はあなたたちの中に
5 階級(クラセ)の召命(クレーシス)
結 特異な社会契約

 以前紹介した『3・11後の思想家25』(左右社)にも出てきたフロイトが集めた夢の話から。
 重病の息子を看病してきた父親。子が亡くなり、遺体のそばで眠っている時の夢。子が激しく責める、ヤケドをしている、気づかないのか? と。父は目を覚ます。遺体の上にロウソクが倒れ、服が焼けていた。
 著者は、この夢の解釈が3・11後の出来事に対応する寓話的意味をもつ、と考える。
 標準的な解釈は、夢には睡眠を引き延ばす機能がある。目覚まし時計の音で起きるのではなく、夢の中で時計が鳴ることで、睡眠が少し長くなるように、夢のストーリーに火や煙や熱が組み込まれることで、父の睡眠が少し長くなっている、というもの。
 ラカンの解釈では、激しい衝撃は睡眠を引き延ばしているのではなく、覚醒へ追いやっている。父は疲れと悲しい現実から逃避するために眠りに入り、夢の中でもっと恐ろしいことに遭遇し、そこから現実に逃避した。
 

 われわれは、3・11の出来事に遭遇し、ショックを受け、まるでそれを夢、悪夢のようなものと感じた。3・11以降、夥しい量の言説が生み出されてきた。言説の量は、われわれの衝撃の大きさに比例している。あのときに何があったのか、事故の原因はどこにあるのか、復興のためにどのような対策をうつべきなのか、今後の電力政策はどうあるべきか……等々が語られてきた。無論、これらの言説の大半は、必要なことであり、また多くの正しい主張を含んでいただろう、だが、しかし、同時に次のような疑問も出てくる。これらの言説は――少なくともそのある部分に関して言えば――、あの夢、3・11という悪夢に匹敵する深さをもっていただろうか。われわれが受けたショックをすべて汲み尽くす言説になっていただろうか。

 標準的な解釈なら、父は安心する。しかし、真実を自覚することなくもち続けて罪悪感を捉える機会を失う。
「凡庸な解釈は、むしろ、真実を隠蔽する」 父は罪の意識に苛まれ続ける。
 同じ危険が、3・11の真実を隠す幕のようなものになる。著者は、序章で、日本の原発の将来について結論を記す。
「日本は、全面的な脱原発を目標としなくてはならない」
 世の多くの人は「脱原発」を考えているだろうが、まだまだ大きな動きとは言えない。
 難解な哲学の命題や「江夏の21球」を喩えに、私たちが考えなければならないことを提示してくれる。

 3・11の出来事を媒介にして、「東北地方の復興」や「日本の電力供給システムの改良」以上のことを――いっさいの妥協なしに〈すべて〉を――要求すべきではなかろうか。その〈すべて〉が何であるかを考察すること、これが本書のねらいであった。

■ 『SIGHT(サイト)』 VOL.51 ロッキング・オン 743円+税 
特集:3・11から1年。この国ではなぜ誰も罰せられないのか
村上達也 なぜ東海村だけが」「脱原発」に踏み切れたのか
日隅一雄 「東電に責任追及できない国民」の裏に何があるのか
保坂展人 既存政党はなぜ「脱原発」を政治的イシューにできないのか
小出裕章 東電、政府、保安員、御用学者――この国ではなぜ「大権力であれば責任を取らなくてよい」ことになっているのか
牧野洋  なぜ日本のメディアは「報道の責任」を問われないのか
川崎友巳 東電の「企業としての刑事責任」は、なぜ問われないのか
藤原帰一 「権力は罰せられない国」日本は異常なのか

(平野)
 1年前のあの日、私、出版社の会で映画鑑賞。直前、最中にも揺れ。そのあと懇親会。はしゃいだ。いま思えば、恐怖心からでしょう。