週刊 奥の院 1.8

■ 岡井隆 森鷗外の『うた日記』 書肆山田 3200円+税
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(帯)より。 

森鷗外の生誕から150年。その間に、世界は大きく動揺し、激しく変貌した……軍医部長として日露戦争に従軍した鷗外の詩歌句集日記をつぶさにたどることで、私たちは、私たちの「今」と鷗外の「今」を問い直すことができるのではないだろうか。

『うた日記』は、日露戦争日記の形をとった詩歌集。森林太郎名で出版。文人・鷗外ではなく軍人として出版。明治40(1907)年春陽堂から(実際に書かれたのは明治37〜39)。
 著者は、鷗外の作品(同じ文章でも種々の版にあたる)、手紙、研究書・注釈書を参照しながら、一篇ずつ解読する。
 異郷の風景、留守宅の妻子を思う、戦いの緊張を綴る。軍医の仕事についてはほとんどない。
 そして、戦争が終わっての思い、和平交渉の進展、帰国の予想……。
平和あらん平和あらじのあらそひに耳をそむけてただ雲をみる
わが胸のそれにも似たりいなづまの光をつつむくろき雨ぐも
……
 

 たくさんの戦争の死の上にようやく勝利をかちとった側からみると、和平交渉のやりとりなどには「耳をそむけ」たくなるであろう。心の中の怒りも「いなづま」によって表わしたとしても、その上に、その怒りをつつむ雨雲もあるのである。

 戦後、鷗外は軍医として奉天で後始末。このことはやはり詩歌にしていない。が、その頃、スコットランド人の宣教師で医師クリスティー(戦地で日本人死傷者を救助してくれた)を訪ねている。著者はクリスティーの著書から引用して、鷗外の「戦争後」の思いに近づく。
 

 戦争の恐怖と艱難の後で支那人が息をつき始めた時に、一般に幻滅と苦い失望との感じがあった。戦勝者が満州の農民と永久的友誼を結ぶべき一大機会は今であった。……一大国民(ロシア)を打ち負かした、日本は優秀最高だ、支那は無視すべし、かういつた頭で、彼ら(日本人)は救ひぬしとしてではなく勝利者として来り、支那をば被征服民として軽侮の念を以て取扱つた。平和になると共に、日本国民の最も低級な、最も望ましくない部分の群集が入つて来た。支那人は引きつづいて前通り苦しみ、失望は彼らの憤懣をますます強からしめた。

「戦後の鷗外はどのような仕事をし、文学を作ったのか」
 著者の次の問いである。
(平野)