週刊 奥の院 12.15

■ 竹添敦子 監修  『山本周五郎戦中日記』 角川春樹事務所 1600円+税 
 周五郎の日記はこれまで部分的には公開されている。某出版社の「金庫に眠っている」と言われ、「門外不出」と伝えられてきた。その存在は半ば伝説化していた。
 竹添は三重短大教授(ドイツ語、比較文化、日本文学)。周五郎の子息にコピーを借りる。また子息の尽力で原本も手にすることができた。
 本書は、1941年12月8日太平洋戦争開始当日から足かけ5年の日記。戦時下の日常が克明に記録されている。中でも、44年11月から敗戦に至る部分、 「鬼気迫るものがある。空襲日記とでも呼びたいような詳細な記述は、戦時下の生活記録として第一級の史料」
 42年4月18日、最初の空襲。この日(正確には翌日早朝まで)、周五郎は3度日記を書いた。
 

 午后〇時三十分頃空襲警報発令。一時三十分頃、当方にて高射砲鳴りだす。……
――初めて敵機を見た、恐怖を感じなかったと云っては嘘になる。然し恐怖よりも闘志の方が強かった事は事実だ。…… 午后四時五十分

(子どもたちが泣いた)「空襲になったら(空のまもり)の歌でも元気よく歌っていなくてはいけない」と云った。…… 夕食の時
 
 夜半、空襲警報にとび起きる、遮光してあるからよいと思って電気をつけて支度をしていると、女房が裏の戸口をあけて「電気を消してください」と叱りつける。……鈴木老、浅田ら出て来ている。「なん時です」「二時です」と話す声がみんな震えている。むろん恐怖のためではない、気候が冷えていたからだ。満天の星、探照灯も見えず。寒いので外套を重ねて立つ。午前四時解除。

(平野) 全国書店新聞12.15「うみふみ書店日記」アップ。
 http://www.shoten.co.jp/nisho/bookstore/shinbun/view.asp?PageViewNo=8782