週刊 奥の院 11.27

■ 高橋源一郎 『恋する原発』 講談社 1600円+税
 


 我々は 
 この度の震災で被災した皆さんを
 全力で支援します
 頑張れ、ニッポン
 ニッポンはひとつ
 我々もニッポン人で
 我々は、この作品の売り上げをすべて、
 被災者の皆さんに寄付します
 チャリティAV
 恋する原発

 音楽、映画、サブカル、当然下ネタ、政治・社会問題を織り交ぜて現実をパロディにする。
 不謹慎、毒、下劣……。
 それでも、
「世界の非情を前に無力な人間ができるのは、唯一、笑うことだ。」
 そう断言する。

「震災文学論」が挿入されている。
 著名人が雑誌のインタビューで「震災」について問われて、「ぼくはこの日をずっと待っていたんだ」と答える。雑誌には掲載されなかった。その人は被災地で救援活動をした。そのうえでこう発言した。
 
 9.11後、アメリカの批評家が、超大国アメリカの行動や利益の結果に対する攻撃、と書いて非難された。「アメリカ」を疑い、「追悼」を後回しにしたことによって。
 彼女は、「テロは絶対に許されない」の前に「テロとは? テロを必要とするものもいるのでは?」と問うたのだ。その議論をできる国家・国民はテロによって毀損されることはないはずと。この論理は抽象的なものではなく、彼女が学んだことすべて、固有の感覚、自身との対話など肉体が刻印されている。
 先の著名人の肉体は「服喪」と「復興」の行動をしながら、魂はあの発言をすることにした、そう考えた。「行動する」ことと「考える」ことは同等だった。目に見えないものを待っていた。

『神様(2011)』(カワカミヒロミ)は、まだ生まれていない子供たちを「追悼」する。
風の谷のナウシカ』(ミヤザキハヤオ)は、死者の代弁者として語る。
苦海浄土』(イシムレミチコ)は、目の前に現れた「死者」と生きる
 かつて、「死」や「老い」は「汚れ」ではなかった。「病」「障害」「貧困」も。「文明」が「汚れ」を浄化してきた。
 震災の後、私たちの前に出現したのは、自然の残酷な力、廃墟、死体、放射能の恐怖……。しかし、目の前にはふだんから「死」「老い」「病」「障害」「貧困」……が厳然とある。気づいていない、気づいてもまともに見ない、遠ざける。
 おそらく、「震災」はいたるところで起こっていたのだ。わたしたちは、そのことにずっと気づいていなかっただけなのである。
(平野)【笑い】 初めはほとんど恐怖みたいなものがあって、それが笑いに変わる。恐怖と笑いの元は同じなんです。『鶴見俊輔語録 定義集』(皓星社)より。