週刊 奥の院 10.28

王国

今週のもっと奥まで〜
■ 中村文則 『王国』 河出書房新社 1300円+税
 主人公鹿島ユリカ、美貌を武器にして社会的地位の高い人間の弱みを作りだす仕事。裏社会の組織に使われているわけだが、別の組織が接近してくる。巨大な“悪”の狭間で彼女はどう行動するのか? 生き残ることができるのか? 
 正義も善悪も通じない不条理な世界。彼女が生きる世界は夜。子どもの頃から月を見ていた。
「月は遥か遠くに、わたしにとっては不思議な光として、いつまでも夜の空の先に浮かび続けていた」
 引用部は彼女の“仕事”の場面。
 

 青い光に照らされた目の前の男が、わたしに視線を向けている。その目が熱を帯びてくるのを、私は笑みを浮かべ見ていた。男は視線を一瞬わたしの胸元に向け、また顔に戻す。男はゆとりのある振りをしながら、一歩ずつ近づいていた。
「……まさか、娼婦、だったとはね」
 正確に言えば娼婦ではないのに、わたしは微笑む。男の指に自分の指をからませる。
「でも、気に入った人でないと、声はかけないんです……。素敵です。テレビで見るよりずっと」
 男の身体に自分の身体を押しつけ、首筋にキスをする。男の手をやさしく持ち、自分の胸にまでもっていく。男が、控えめにわたしの胸にさわる。わたしはまだ感じていないのに、声を混ぜようとする。
「……色んなことも、忘れていいんです。……わたしを、好きなようにしてください。ん……、あなたの、好きなように」
 男の体温が上がる。人間は常に、正常な判断をし続けるわけじゃない。意識が揺らいだ時、人は無防備になる。胸を触る手が、荒くなったのを感じる。わたしは男の唇を指でなで、口に錠剤を入れた。……

 一丁あがり、男はクスリで眠らされて恥ずかしい写真を撮られる。彼女は現金を抜き取る。男は金を盗まれただけと思う。しかし、大きな闇が次第に男を包むことになる。彼女はその写真がどう使われるのかは知らない。
 大物は気を付けましょう。
(平野)