週刊 奥の院 8.26

■ アダム・カバット 『江戸滑稽化物尽くし』 講談社学術文庫 920円+税
 著者、1954年ニューヨーク生まれ。東大大学院で比較文学専攻。武蔵大学教授、近世・近代日本文学。
 来日して「ドラえもん」や「オバケのQ太郎」に熱中、そこから妖怪に興味。そもそもは泉鏡花幻想文学研究から江戸文化に。

……黄表紙のなかの滑稽な化物たちは、私にとって大きな発見だったが、絵のまわりにちりばめられた「くずし字」をほとんど読めなかったのは悔しかった。……

 くずし字の勉強をし、入門書を書き上げた。
 本書では、江戸の大衆文学黄表紙に登場する化物たちを通して、江戸時代の生活様式・価値観を見る。
 ○神秘的な妖怪よりも庶民的な妖怪が圧倒的に多い。
 ○西洋のドラキュラや人魚姫のような気高い妖怪は少ない。
 ○女の尻を触る河童、傘・提灯など日常道具の擬人化、何かを届けに来る一つ目小僧など、親しみやすい。
 ○これらは「商品化」または「キャラクター化」されやすい。
 江戸時代、作家によって考案された妖怪が「商品化」されて、人々に受け入れられていた。

……絵と文の組み合わせによって、化物の視覚的な滑稽さと内面的な滑稽さが両方浮彫りになる。子ども向けの昔話やおとぎ話などを題材にして、パロディーを試みた黄表紙の作者たちにとっては、化物は恰好の存在である。……現代のアニメと変わらないのである。

 黄表紙の化物は研究の対象にはされてこなかった。明治の学者は創作の化物より伝承の妖怪を研究したし、また、西洋的近代化をめざす明治という時代は、江戸の文化――猥褻や下品を含む――を否定した。
 京極さんや畠中さんは現代の「黄表紙作家」なのであります。
 
◇ 今週のもっと奥まで〜 
■ 小説現代 9月号 特集:超短編官能小説 講談社 895円+税)より、 千早茜『あらし』 
 大学時代のサークル仲間ヨシオが転勤で街に戻ってきた。5年ぶりの再会。もともと色めいた過ちなどなく、二人きりで気兼ねなく飲む。今も彼のアパートで寝顔を見ている。台風の夜。

……あらしの時はどんなやましい想いを抱いても許される気がした。血肉が騒ぐのをあらしのせいにできるから。(略、冷蔵庫をあける、ビールと炭酸水しかない)
 いつの間にかヨシオが後ろに立っていた。廊下続きの台所は暗くて、冷蔵庫の光だけがしゃがんだ私の足元をひっそりと照らしていた。
 ヨシオの影にすっぽりつつまれている。からだの奥がにぶくうずいた。
「しゅわしゅわして気持ちいいじゃん」
 からかうような声音だった。ふり返れなくて背を向けたまま立ちあがり、水切りにおいてあったグラスに炭酸水をつぐ。ぱちぱちと弾ける透明な液体をみつめた。
「俺もさ、台風の時ぞくぞくしたよ、なんか。怖いけどわくわくする感じ? でも、お前、涼しい顔してたしな」
「してないよ、はしゃいでたじゃない。だって、あらしはお祭りだよ。本能の祭り」
「本能ね」と、ヨシオが言った途端、突風が吹いてアパートがかすかに軋んだ。
 泡立つグラスに手を伸ばそうとしたら後ろから抱きすくめられた。ヨシオのにおいが押しよせて、目の奥で白いものがちかちかと散った。視界が狭くなる。
……「あ」という声をのみ込む。泡か、と思った。自分のからだの中にもたくさん泡がたっていくのを感じた。奥の方から、どんどん、いくらでも湧いてくる。……

(平野)