週刊 奥の院 8.18
■ 懐徳堂記念会 編
『〈日本文化〉紹介の先駆者たち』 和泉書院 2800円+税
第1章 日本紹介の先駆者たち 柏木隆雄
第2章 岡倉天心の理想と芸術戦略 神林恒道
第3章 願はくはわれ太平洋の橋とならん――新渡戸稲造の愛国主義と国際主義 長尾輝彦
第4章 オイゲン・へリゲルの禅理解――残る問題 上野正二
第5章 敵国日本を分析したルース・ベネディクト ポーリン・ケント
1章から。
13世紀末、マルコ・ポーロが「黄金の国ジパング」を紹介して、ヨーロッパに航海熱=大航海時代がはじまった……? 空想や夢が大きなエネルギーを引き出すという通説の例で、ウソかマコトかいずれにせよ、ヨーロッパ人が「日本」の存在を知ったのはこれ以降。
16世紀半ばに日本に来たヨーロッパ人はイエズス会の宣教師たちとその随員。フロイスやロドリゲスら宣教師たちの報告書が残るが、それらが公に知られることはなかった。日本からも少年使節がローマに派遣されるが、詳しい記録はない。1639年鎖国。長崎でのオランダ・中国との交易のみ。
1690年、ドイツ人医師ケンペルが来日。彼はペルシャ、ロシア、インドを旅し、89年オランダ東インド会社に雇われる。事前にイエズス会の報告書を読んで資料も集めていた。滞在中商館一行と2度江戸参府、将軍綱吉に拝謁し、質問され、踊らされる。綱吉の様子、江戸城内の有様を詳細に観察している。93年帰国。見聞した地理・気候はじめ、歴史・神話・生物・政治事情などを挿絵・地図入りでまとめた。その死後『日本誌』として1727年英語版出版、版を重ねヨーロッパの知識人に読まれた。29年蘭訳版、仏訳版出版。蘭訳版はのち日本に輸入され、紹介される(1801年)。
1708年、イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸、捕らえられ、長崎奉行所から江戸に送られる。新井白石が尋問、そのやりとりは『西洋紀聞』として残る。取調べの際、優秀な日本人通詞がいた。長崎からシドッチと共に来た今村英生。尋問のためラテン語も促成で学んだ。ケンペルが長崎の居館で親しく身近に使った年若い助手だったであろう、という研究者の検証。
そして、1823年、同じドイツ人で長崎オランダ商館医師・シーボルト来日。彼により、より精密な日本研究がヨーロッパに広まる。さらに、外交官・軍人たちの記録。これらの積み重ねによってヨーロッパ人に日本理解が深まっていった。
(平野)